先進国の貧困
「昔話」や「名作劇場」が廃れたのは、「貧乏な主人公」というのが共感を得られない、飛び越えて「ピンと来ない・理解出来ない」からだと聞いたことがある。
まぁ確かに空調の効いた部屋のでかいテレビで飲まず食わずを見せられたところで「なんで?」になるだけ。
しかし実態として貧困が原因の死や、そうした世帯が連綿とこの日本にあることは確かである。小学生の頃「**住宅」の友達んとこに遊びに行くと言ったら、母親がお菓子を持たせてくれたことがあった。確かにそこは風呂はなくトイレは共同、電灯も居間にしか無かった。彼、は何かオモチャを持っているわけでなく、ただ電車が好きなのでしゃべくり合って時間を過ごした。今思えば公営の、必要とする世帯向けの住宅だったと合点が行く。母親がお菓子を持たせた、又然りである。
結局の所「貧困」の水準はその頃、内容と動いていない。現下、法定の最低賃金が700~900円くらいだが。
・700×8時間×6日×4週間=134400円
暮らせるか。名古屋周辺で2Kのアパート再安価で家賃3万。電気・ガス・水道・食費…「ひとり」なら可能だが、「世帯」は不可能であろう。一方で多分、いまコレを読んでいる皆さんは、家にネット引き込んであるか、スマホがいじれる状態、であろう。それを標準とするならば、「最低賃金」世帯と既に大いなる乖離のレベルにある。ちなみに最後は生活保護、なのだが、あれは審査して支給されるまで1ヶ月程度要する。
(「生活保護ガイド」より)
しかも家庭訪問されるうえ、預貯金収入源全部調べ上げられる。生活保護しか道はないのか、「相談」「面接」を何度も行う。思うに「もう生活保護しかない」というのは今日明日食うにも困る状態であろうから、それらプロセスの存在の説明と「1ヶ月後」と聞いた瞬間に、恥を感じ、或いは絶望し、生きる気力を奪われることもあるであろう。ちなみに生活保護は全部税金、というパターンだけでなく、例えば前述「**住宅」のように、住宅補助だけ、というパターンもある。
「自立を助長する=働いて得た収入を基本に」
「健康で文化的な最低限度の生活を保障」
が目的であるから、当然なのだが「文化的」の意味するところがぶっちゃけ昭和40年代から変化が無い。まぁ衣食住と寝るまでの照明と凍死しない程度の暖房費、そんなところか。もちろん、2010年代でもそれで生きて行けないことはない。テレビ、冷房、ましてやスマートホンなんかオプションにもならない贅沢そのものである(情報収集はラジオさえあれば出来るぞよ)。ただまぁ、生活水準が下がるのは仕方が無い。この「仕方が無い」を許容出来ないと、求める物と得られる物とに乖離が生じ、保護が得られない=貧困に陥る。「文化的」の上に、技術の進歩に応じた「文明的な」水準が加わっているのである。「文化的な」が「先進国の人間らしさ」であるなら、「文明的な」は包含されてしかるべきであろう。だが、「生きて行く上で必須」では決してない。
ゴムボールで野球している分には、道具はみんなで使うので「貧困」かどうかは関係ない。だが、家でWifi使って対戦ゲーム、となった瞬間、「貧困」かどうかで参加可否の差が生じる。
それは「文化的先進国」の正しい姿なのだろうか。
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