郷愁の武蔵野線
対する東武の接続駅「新越谷」が作られて行く様をリアルタイムで見ていた。いやいや今みたいな複々線で周りビルだらけのごつい駅ちゃうで。複線の両側にコンクリ板を並べたホームが2本。
東武電車を常用する側として「少し不思議」な路線ではあった。複線高架で貨物列車がぶっ飛ばし、人乗る電車はたまに来る(当時40分間隔)。人気の無い駅に超ハイテク「自動改札」それは多くの人が関わり本数も「じゃんじゃん」と言える東武と真逆で非日常感があった。
父親にせがんで乗せてもらった。するとぶっ飛ばすぶっ飛ばすそして隣の駅が遠い。
武蔵野線は元々貨物専用線として計画された。現在の道路網で言うところの「圏央道」の鉄道版で、足の遅い貨物列車を都心通さず、東海道-中央-東北-常磐-千葉エリア相互往来を目的とした。旅客輸送はあくまで「ついで」程度であった。だから駅は少なく、本数は少ない。今も府中本町-鶴見間は南武線と併走する貨物専用。
その代わり幹線級の重く速い貨物列車を受け入れるため、カーブは緩く、勾配は少なく、完全立体交差で建設された。それは旅客列車の場合その車両に許された最高速度でぶっ飛ばせることを意味した。
西へ向かい、浦和を過ぎると長大なトンネルが続く。当時の武蔵野線の電車は中央線のお古で冷房なんかない。
開けっ放しの窓×高速運転×長大トンネル
ぐわんぐわんご~~~~~~~
埼玉田畑田舎風景高み見下ろす車窓一変、何起こってんだこれ状態になり、しかもいつまでも終わる気配が無い。あげくトンネルとトンネルの間に駅があったりしやがる。
主役は貨物。長いトンネル、高速運転。カルチャーショックであり、楽しかった。
(武蔵浦和)
そして今、旅客列車は貨物列車に互して、否それ以上に増え、新造お古かき集めて相変わらず轟々と飛ばす。
貨物大幹線は健在。
生まれた時からそしてこれからも物流の扇の要。模型でも貨物列車がたくさんあって良い路線。ゴツイ機関車長いの引いて突っ走れ。
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