終わりの始まりになりませぬよう
これについて率直な感想を述べよと言われたら、「ハードディスクの見てくれに美もへったくれもあるかボケェ」である(悪口なので出典やリンクはしない)。
「砂と石だけで構成された日本の石庭のような、質素ながらも神秘的で気品漂う美の世界を演出した」
おいおい。眺める調度品なのかこれは。録画用HDDなんてテレビの裏にぶっ転がしておくもんじゃねぇんか。ソレよりもHDDとしての本質機能を高める方にコストを割くべきではないのか?
数値や明確な差別化ポイントを喪失した製造業は大体こういう感性に訴える「商売」を始める。観念論ビジネスと俺は勝手に呼んでいる。見た目と耳と肌触り。ネタが切れると往年の名機を持ってきて、そのイメージにおっかぶせて「現行製品であの時のときめきを」とか始める。で、現代の技術でマイスターがチューニングし、名機復活、などとやる。とどのつまりは中に使ってるデバイス(多く自社製ではない)を使っているから性能が~と言い始める。いや別にそのデバイス使えばイイならあんたんとこのブランドでなくてもいいじゃん、なのだが、中の人たちはその辺がもう見えていない。ここまでの流れをひっくるめて「没落への三態変化」と俺は勝手に呼んでいる。実はシャープが「世界の亀山」言い始めた時うへぇと思った。日本製というイメージ戦略そのもので技術的には何もないからだ。「こいつらネタ切れしたな」とすぐに分かった。当たり前だ。液晶には物理的に越えられない反応速度の上限がある。「高精細」には出来るが、色彩表現力と動画再生の性能は著しく劣る。遠からず独自性を失い瓦解する。果たしてシャープはどうなったか。クアトロンというデバイス用語を残し、そして。ただシャープは「輸出令一項該当品」を作ってるわけで、その辺安易に大陸に渡してイイとは思わんがね。
さてこの三態変化はナカミチ、サンスイ、そして書いた通りシャープも辿った。ソニーは機器のスペックから周波数特性などを消し去り、感性だけに頼って萎縮したモノしか出せていない。もしソニーからマイスターチューニングやリミテッドエディションが出てきたら、それは「事象の地平面」を越えたと判断されねばならない。東芝も然り。
エンジニア達よそれは本当にあなたが作りたいと思った物か。
※2016/3/1追記
本当にやるバカがどこにいる。しかもハイレゾ音声の仕様の中途半端な事よ。
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