ネトウヨだが紀元節も仕事だ
工場って「1日だけ止める」っての色々面倒なんだよ。
さて今日という日は胡乱いろんな人がいろんな事を言う日であるが、今日び本気で怒り狂ってる政党や宗教団体あるから困る。確かに戦争中に「皇紀2600年」言い出して煽る道具に使ったのは確かだが、そりゃ実態は神武天皇をダシに使ったわけで激しく失礼な行為だったと言って良い。比して現代のそれは「日本にも神話があってな」程度の意識付け・リマインド程度の意味しか無い。ピタリ紀元前660年1月1日(旧暦)に即位したわけがなかろうがw。ちなみにこういう「設定」にとりわけクリスマスの特定が出来ないキリスト教から文句言われる筋合いはない。
さておき、「国が生まれた日」を記念日に、というのはどこの国でもやることだ。日本もやりたいわけだが、何せ政権と執政形態に変化はあっても国体としての日本と天皇家はずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと続いており、特定の日に決め込むのは難しいのが実態なのはご存じの通り。最初の中央集権は大和朝廷であろうが、それは天皇を元首としており、じゃぁって天皇家の血脈を上ると欠史八代(神武-開化)を除いたとしても、崇神天皇(在位:皇紀564-631/紀元前97-紀元30)辺りになると、弥生時代で戦乱の痕跡があり、誰か有力者や戦功の残照を反映していると見ることが出来る。ちなみに崇神天皇の諡号は御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)『日本書紀』であり、「国を統めらし」という名と、記紀にある「四道将軍の派遣派兵」など、全国規模のアクションは、天皇家による実質的な国家平定を示唆する。なお、崇神天皇の崩御は戊寅年としかないので、120歳まで生きたことをフィクションとし、魏志倭人伝の時代に持ってくると紀元258年とか318年などになる。三角縁神獣鏡の「景初3年」が紀元239年であるから、王権がまとまる時代の「誰か」をモデルにしたのだと否が応でも見えてくる。その頃、国家の体を形成し始め、その中心が天皇と呼ばれる存在に収斂していったと見て間違いない。
で、「紀元前660年」のよりどころなのだが、日本書紀に「辛酉年春正月、庚辰朔」とあり、これに基づいて60年単位で遡って行った、とすれば良いだろう。もちろん、元日に定めたのは舎人親王ら日本書紀編纂者の「故意」であり、何か根拠があったわけではない「だとキリがいいなぁ、と思って書いたんだろうなぁ」程度で充分。なお、皇紀を定めたのは憲法で天皇を元首と法で定めた明治政府で、戦時中の軍政ではない(明治5年太政官布告第344号。後に「計算し直して」2月11日に変えている。明治6年太政官布告第344号)。明治憲法「大日本帝国憲法」も2月11日に発布されている。
「天皇を元首に据える以上、その始まりを定めて祝わなくちゃならない」…何のことはない「西暦紀元」と同じアクション(ローマ帝国がイエスの誕生を記して暦を作ろうとし、エクシグウスに算出を依頼した)を取ったに過ぎない。それを軍事政権が煽りに使っただけ。そこ「だけ」捕まえて軍国主義の復活だとかアホすぎ。ましてや他の宗教に何か干渉する意図など一切ない。勝手にイデオロギー唱えて勝手にクジラを食うのは残酷だと喚いておればよろしい。崇神帝も神武帝もそんな細かいことは一切言わん。敢えて言うなら。
八百万に神が宿り、「命」相互に貴賤が無いのが豊葦原中国、日本だ。
(ちゅーかキョーサントーは「天皇賛美と軍事化」を結びつけたいようだが、バリバリの軍事国家だった江戸幕府やゴリゴリの天皇主権国家だった大和朝廷を何だと思ってるんだろ。その時代に祖先がいたなら矛盾に気付くはずだが…)
« 人為ミス防止のためのシステムを人が壊して事故になる | トップページ | ホンマけ重力波 »
コメント