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2016年3月12日 (土)

リマインド5年前~東日本大震災を振り返って~【終】

5.「シーベルト」という単位が日常に降りてきた日

JR全滅で会社で徹夜。ただ、自宅への不安(安否は確認済み)と、そもそんな状況で寝ることも適わず。

午前3時59分。

携帯の緊急地震速報が鳴る。来るか?

東京に揺れは無かった。だがそれは直下型地震の故であった。遠方誘発地震、栄村の震災である。

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父親の郷里は長野県であり、朝4時だが構わず電話。

「地震見てたか?」
『電話した。兄貴(叔父)は大丈夫だ』

ほぼ、自分と家族以外に気を回す余裕は無い。

「福島第一」の状況が全然わからんからだ。

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ざっくり200キロ。フォールアウトして核物質は飛んでくるのか。ウランやプルトニウムはさておくとして、ヨウ素やセシウムはないとは言い切れまい。

JRが始発から動くとの報を聞き、同じ千葉方面に帰る方と示し合わせる。メトロは動いているから「始発・西船橋」を狙おうか。

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課長に伝えて退社。深夜残業6時間半。東西線は意に反して座ることが出来た。東西線「だけ」動いても意味無しと思った方が多いからであろうか。

しかし走行音がやたら喧しい。車輪が真円でないとガタガタ言うが。それが多数の車輪で生じている。

急ブレーキ。

『緊急地震速報を受信しました。止まります』

キキー・がくん。

この「キキー」の部分は車輪がロックされてレールの上を滑走しており、応じて接触面が削られる。そして「ガタガタ音」を作り出す。

ああそうかと合点が行く。この電車は昨夜来、幾度も同じ緊急停車を繰り返し、結果ボロボロになりながらも、それでも夜っぴて走っているのだ。

Quake3
Quake4
Quake5

「安全確認が出来ました」発車します。

数回、緊急停止を繰り返し、西船橋に達したのは午前6時過ぎ。日が昇ってくる。

さぁ始発の黄色い電車来いや。

しかし駅の放送は無情を告げる。地震による影響が無いか線路点検をしております。運転再開の見込みは…

付き合うつもりはない。歩いて京成西船へ向かい、超・すし詰め電車に身体を押し込む。津田沼で乗り換え、千葉へ達したのは11時位。

通常1時間半の行程を5時間。

駅前のパン屋で少し多めに買い、ATMで現金を下ろし、

新聞を買う。

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自宅へ帰り着く。一晩を頑張った妻子を労う。屋内の被害の確認。花瓶や食器類の破損。及び

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突っ張り棒の部材が模型線路の左下に見えるであろう。緩んでいて役に立たなかったのだ。初回に書いた「反省」はこれである。ただ、家族に怪我人が無かっただけ幸いであった。

買ってきたパンを食う。そして今後を話し合う。最悪の事態は原発の事故であり、物流が破綻して食い物と飲み物が枯渇すること。ある程度の備えはある。状況からして「直ちに避難」の段ではない

余震。

余震。また余震。

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戻してもまた崩れる可能性のあるものは後回し。

そして…少しウトウトしたであろうか。テレビを付け、事故の進展を知った。

15時36分、フクイチ1号機の建屋が飛んだ。

キチガイか。率直な感想であった。地震動・津波・放射性物質の放出。このたたみかけるような複合。まだ気仙沼は湾ごと燃えたままだ。そこにこれ。

これは本当に天罰なのではないか。いや原発は違う。あれは人に全ての責任がある。東京電力の対応のずさんに歯ぎしりした。馬鹿な政府を呪った。

「布団と洗濯物を屋外に干すことを禁ずる」
「はい」

近くの市原市にモニタリングポストがあることを知る。年間許容量1mSv。

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1年分の生データである。2011年3月15日、0.3uSv/h(事故前平均値の100倍)を記録する。それは半年屋外に居続ければ年間許容量を超える数値(ソース)。

全裸半年とかあり得ない条件とは言え、無防備であれば規制値を超えるという現実が日常生活にもたらされたことに慄然とした。

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これは福島方向を仰ぎ見た空の余りの青さに残した1枚である。この向こう200キロで万単位の人命が失われ、原子炉の1次冷却水が剥き出しになっている。それは見えないだけで遠い出来事ではない。

この後1年を千葉で過ごし、名古屋に転勤するのであるが、千葉の記憶はこの写真の光景を最後に新たなものは残っていない。千葉での生活を刻んだ俺の時計は震災で止まったままなのだ。それは衝撃の深甚さであり、「未解決」の故もあるだろう。

そして、「この災害を経験した上で名古屋に来た」ことの意味の重大さを強く認識している。言わずもがな南海トラフの備えである。知ったからこそ出来ることがある。俺はこの災害で涙を流したことはない。悲しいと感じないからではなく、「次」を起こさないことこそ、最大の慰霊であり、その犠牲に報いることと考えるからだ。だから刮目して見、記憶し、広める。泣いても復興の手伝いにはならず、失われた命は戻らぬ。

マグニチュード9.0。震度7の揺れが5~10分続き、その揺れが収まる前に20メートルの津波が来る。これがシミュレーションによる「最悪」の南海トラフの姿である。その中を我々は生き延びねばならぬ。とりわけ名古屋人よ、小ぎれいに準備されたセレモニーに参加して「追悼の意を表した」といい気になっている場合ではない。日本において年に1~2度しか有感地震がないというのは「異常」なのだ。それは大きな地震を控えて静穏化している現象のただ中と言って良い(グーテンベルク・リヒターの法則におけるb値の低下)。

次は我々である。備えよ。それは必ず来る。知識を得よ、そして鍛えよ。

来てからうろたえるようでは遅いと知れ。私には言い続けることしか出来ぬ。

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岐阜はどんな感じになるかおせーて。

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