違う。そうじゃない~志段味古墳群を巡る~
濃尾平野は古代は湿地で、古墳の類いは名古屋市の場合北東側、小高い「守山区」に多く存在する。そこを整備したらしいので赴く。
バスで来て歩け、が名古屋市の目論見だが。こちとら瀬戸電沿線住民、この辺は自転車キコキコ。
庄内川が作った河岸段丘の最上部にあるので、視界は開ける。視界正面は春日井になる。
東谷山(とうごくさん)名古屋市で一番高い山/場所。
古墳巡りここから開始。ここまで来ると最寄りのJR駅は高蔵寺。
勝手塚。そのまま神社になっているので写真は撮っていない。由緒書きによればご祭神は天照大神・日本武尊・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)・大山祇命(オオヤマツミ)。後御二柱は農業の神様。寛文年間に奉られているのを確認、とある。
二十二夜塔。女人講によるオールナイト月待ちイベント(待てコラ)。写真だとワカランが建立は明治35年としてある。
覚明霊神(かくめいれいじん)。先に水蒸気爆発を起こした御嶽山を開いた春日井出身の僧侶・丹羽仁右衛門のこと。まぁ対岸が春日井ですから。
次、大久手4号という円墳。かろうじてこんもりが確認出来る。ちゅーかよくこれで古墳と比定できたなおい。ただその代わり、見学するとかそういう状況には既にない。
段丘の小道を上るが、脇に遊歩道整備中で、程なく用済みになる模様。
遊歩道ってのがこんなの。あのね、「風情」って奴があってね。
大久手3号方墳…って待てコラ。
西大久手古墳。ホタテ貝形。とあるが。
わからん。まぁ「仁徳天皇陵」も地上から見たらただの山だけどね。
wikiにあった空撮。これなら分かるわ。
木の皮ガツガツ削り取ってるオオスズメバチ。閑話休題。
東大久手古墳。同じくホタテ貝形。
と、いうことにしておくわ。
で?本命?本丸?志段見大塚古墳。
もちろん、遊歩道整備に併せて税金使って石を貼った物。なんでこういう「復原」するかね。石はゴロつかせたままで、「葺いてあったとみられる」として想像図置いとけばええやん。
1923年(大正12年)に京都帝国大学の梅原末治によって行われた後円部の発掘調査では、墳頂部から粘土槨の主体部(埋葬施設)が発見され、内部から多くの副葬品が出土した。しかし古墳自体はその後長らく放置され、1982年(昭和57年)・1983年(昭和58年)になってようやく愛知県教育委員会の依頼で名古屋大学による測量調査が行われた。
(wiki。赤線はオレ)
被葬者さんサーセン。
まー、小学生が自分でしおり作ってうろつきまわるためのオブジェっすな。
白鳥塚(しろとりづか)古墳。ここだけ見ると現状維持みたいに見えるじゃん?
ぐるっと回ってこの通り。台無し。埴輪が無いので4世紀後半の築造とか。前方後円墳。須恵器とか土師器とか。
推定オリジナル。
墳丘の上へ登れるようになっているので登る。
石英が敷き詰められていたと思われるので部分的に再現してみた。
あのね。
こういう水晶なりそこないの石英好き。
幾らか石英転がっているが、「本当に元々ここにあったのか」「復原をイタズラされたのか」わからない。前者ならロマンがあるが後者ならつまらん。な?だから余計な復原やったらいかんのよ。ちなみに愛知県内で火成岩である水晶出るのは設楽村(断層地帯)。大体、権力者はその地では珍しいモノを自分の墓に積み上げる。
つまるところ、「古墳もある雑木林の散歩道」まぁいいけどね。キジの声にうぐいすの谷渡り。いにしえの雰囲気。
最後、その東谷山の裾野。白鳥(しろとり)古墳。
石室が見える。
どう見ても耐水電線見えますね。スイッチ押すとライトアップするんだって。
以上。まぁ加曽利貝塚がほぼ手放しで貝殻ゴロゴロしてるのに比べると、「現代化」されすぎてつまらねぇ。
(加曽利貝塚)
6000年前の貝殻。悠久の時間がここに凝縮されてるってロマンと実感があるじゃん。これどこから来たんだろうとか考えるじゃん(当時近場が海岸線)。
比して名古屋の志段味はやりすぎ。河岸段丘があって、地勢や天空との結びつきを考えて、古代の人が墳墓にどんな意味合いを込めたのか、そこに思いを馳せることに楽しみがある。それ全部ぶっ壊してしまってる。「立体教科書」の域を出ない。
ウグイスが鳴きキジが鳴く後円墳春風ゆるり流れ行きたる(推敲予定)
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