そうぞうのあうふへーべん
で?ハイレゾは?ってこれがUSBメモリからの再生にすら触れられていない。まぁ車載は、クルマ自体が「ディーラー純正のままで、下取りに出すもの」であるうえ、車載に凝っても何の加算にもならんから、車載で凝ろうという人は減っているかもしれない。ちなみに先だって別の会社の技術者と直接やりとりをしたが「聞こえない音を再生するメリットは無い」との回答だった。位相再現性の問題を更に聞いたらレスポンスはないのだが。ちなみにこいつ、最上位機種で「ストリーミング対応」に舵を切った。手持ちを好きに再生したいというユーザーは切ってきたわけだ。もちろん課金サービスである。加えて「操作音のプロデュースは…」「エキスパートチームによる音響チューニング…」
そう、サンスイやナカミチと同じ方向。すなわち「やることはないが新製品は出さねばならぬ」アウフヘーベン。しかし車載は時代遅れになっていることみんな気付いているのか。音を主体にナビ選ぶ奴がストリーミングなんてちゃんちゃらおかしいもの喜ぶかっての。
栄ミナミ音楽祭。「登竜門の役割」もあると書いた。音楽ってメロディとハーモニー、そしてボーカルものなら歌詞と、3つのベクトルを最大効果点へ向ける作業を要する。その点で通りすがりで聞いてて感じるのは「言葉が頭に入ってこない歌詞」。すなわち、会いたい系、そばにいるよ系、応援するよ系。
自分が短歌で師匠に言われる事だが、「想像出来る具体的な場面」がないと「共感」に繋がらない。なので頭に入ってこない。「曲想」って心情に沿うものだから勢い心情のみの歌詞になりがち。でも聞き手が欲しいのは多分、「その心情が生まれた場面」。アノ場所で~とか歌われても困るだろう。そゆこと。俺みたいに通り過ぎられてしまう。それもまたアウフヘーベン。そして短歌誌に並ぶ自作のレベルの低さの因子。これもまた、アウフヘーベン。
ただ短歌の場合、それがパターンで「そればっかり」になってしまうとマンネリすなわちアウフヘーベンになるのが恐ろしい。師匠は俺のブログ等の文章を「様式化されていて見事だ」と仰るが、文章ならテーマで書き方が変わるから、マンネリには感じにくいのだ。ただ短歌はそうは行かぬ。三十一文字でリズムも固定だから「また、そのパターンか」に陥る罠はガバッとデカい。
まぁ、もがくか。みんなもがこうぜ。その先にあるのもまたアウフヘーベン。
CreationのAufheben。
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