無意識ナチュラル
先に英国BBCのパククネ報道で、特派員が自宅から放送中、子供が部屋に入ってきて、奥さんが連れ出す、という「ほのぼのハプニング」があった。
「奥さんが」と書いて読んで皆さん違和感なかったと思うが、これが英国欧州では「ベビーシッターか家政婦さんだね」という見方が多く、後から奥さんと判って議論が起きたという。なぜか。
奥さんが東洋系(多分現地の方)だったから。
白人家庭にいる東洋人=使用人という固定観念。
一方、アメリカでの調査で、全く同じ体格の黒人男性と白人男性に対し、「どっちが大きいか?」と聞いたところ、白人からは「黒人の方が大きい」という意見が多く、黒人からは「差は無い」だったという。
特定の生き物に対し恐怖を覚えることに対し、先天的か後天的かという議論は尽きない。良く引き合いに出されるのがヘビやクモである。
親が「嫌い怖い」と言いつのることによって、子供がそういうもんだと学習するという事例は確かにある。一方そう洗脳的なコトしなくても、最初から怖いという反応を示す場合もある。人間に限らない。ニホンジカなど見たことも無いはずのオオカミやライオンのオシッコの匂いで逃げ出すという。オシッコに含まれる彼らの何かがシカの遺伝子に働きかけると説明される。
ちなみにこの人手のひらサイズだが、歩くとパタパタ足音が聞こえる。ゴキブリを追って捕らえるクモなので足運びは高速8輪駆動。それは先鋭的捕食者以外の何者でもなく、人間にさえ「遺伝的警戒心=恐怖」を惹起してもおかしくない。
戻って。
人間の文明は長く欧州を先鋭とし、地中海を介した南北の貿易はずっと存在し、応じて「黒い肌の人」との付き合いはずっと有ったはずである。ただ、その間に白人は武装し、応じて黒人を支配下に置いていった。ギリシャ神話のゼウスは挿絵や彫刻などから白人というイメージが強いだろうが、有名なギリシャ神話のひとつ、アンドロメダ姫にまつわる話はエチオピアが舞台である。
人間の生物的本能として「初めて見る肌の人」に恐怖を覚えるというのはあるにしても、長い時間で醸成された差別に根ざしたこの手の「常識以前の刷り込み」により、ナチュラルに「白人」をモデルにした王位神格による影響は大きいだろう。新約聖書でイエスの誕生を祝いに来た「東方の三博士」……ユダヤの東方は中東である。キリスト教=白人の宗教という観念があると、この博士達の肌の色がすぐさま浮かんでこない。
最も、白人が黒人を攻撃し、支配下に置いた動機こそは、その遺伝的恐怖心に基づくとしても間違いではないかも知れない。ひっくり返して圧倒的な「力」で絶対優位を持っておかないと平和的関係を築けないのが白人という物言いも出来る。核武装して「仲良くしないとぶち込むぞ」……そう、白人のやってることはここ1000年変わっていない。自分たちのルールを力背景に押しつける構図はそのまま、奴隷売買や人頭税というシステムがOSや産業規格に変わっただけだ。そしてそれらがあるから「自分たちが基本で中心」という社会観が醸成され、応じて異質の存在に差別を抱くのである。差別は嫌悪だが、嫌悪の底は負ける恐怖、とすれば論理的につながる。
なお、太陽光で生きる生命の一種として、太陽光に弱い肌と光彩の種族は生存範囲が限られる。版図を広げておきたい、その少ないハビタブルゾーンを死守したいという本能は働くのかも知れない。負い目があるから他を貶めて優位性保全を図る。
いずれにせよ差別を具体的に例示して法で縛らなきゃならない時点で土人の次元から脱していない。白人優越主義ほど非科学的で幼稚な主張は他に無い。それがまたキリスト教原理主義と結びついてるから困る。
米英をハブったらどうだ。世界よ。
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