6年の考
名古屋は良い天気だ。電車が止まって会社で夜を明かし、超満員の京成で帰った千葉の空を思い出す。
名古屋に越してきて「次は名古屋」の危機感は周囲にない。3.11は遠くの他人事で、訓練もおざなり。良く書くが、この状態で彼らは震度4レベルが3分継続し、途中で7に達する大地揺動に冷静に対処し、その後逃げ延びられるのであろうか。
工場のマニュアルだと地震収束後整列点呼、になっている。が、実際は火災とひっきりなしの余震でそんな悠長なことをしている状況ではあるまい。加えて近所に川があるから、下手をすると堤防破れて氾濫し、火と水がダブルで迫ってくることになりかねない。4階5階の建屋に速やかに移動、が筋であろう。もっとも、氾濫の水が火の付いたがれきを外から運んでくる可能性もあるのだが。
せとでん乗り降りするのに大曽根駅を使うが、その近くに「大幸八幡社」という江戸期からの神社があり、濃尾地震被災と復興を記した石碑が建っている。前に書いた。凄まじい揺れと庄内川・矢田川の決壊でひどい目に遭ったとあるので、東海豪雨で大曽根近辺水浸しになったことも踏まえると、「地震で水浸し」は津波だけと思い込むのは危険である。こうした危険を名古屋市や各区、ウチの会社などもリスクマネジメント出来ているとは到底思えない。
大きな災害をマイルストーンに思い出すのは、セレモニーが目的ではなく、記憶にとどめて自らに当てはめ、再発を防止することにある。犠牲になられた方々も泣かれるだけでは無意味とお感じのことであろう。
死者19418 行方不明2592(理科年表による)。
技術の発達した21世紀にあって、このような夥しい犠牲を伴う自然災害を再度起こしてはならない。
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