慣れの恐怖
「袋が破裂」にとてつもない不穏を感じるのだが。
被曝事故多過ぎやしませんかね。
電気にも通じるが、放射線の怖いところは「見えない」ことにある。また、電気の場合は「感電」という体感現象があるが、例えばウランの粉末全身に浴びたところですぐさま何か症状が出るわけではない。すなわち、感電のような「すぐさま危険から離れる反応」を期待できない。その代わり長く体内にとどまって細胞遺伝子を破壊したり、細胞が再生能力を無くして生きながら破壊されて行くとかそういう状況に陥る。このことは守るべき手順は理由を理解した上で確実に守り、今回の袋とか、想定外の事象は手を出さずすぐさま相談、となる。ちなみに恐らく、日常はそういうこと「守っている」と思われる。が、真に危険なことは毎度同じと限らないので、見えないことも手伝い「危険」への感度・判断基準が磨かれないのだ。結局日常がルーティンとなってしまい、日常の感覚で危険に手を出す。
そこで危険予知活動とか訓練、という話になるのだが、そういうので出てくるのは想定外ではないのだ。従って想定外という本当の危険に対する反応が磨かれない。ならば、想定外が生じないよう管理をガチガチに、とこうなる。その点で「破裂した袋」が常日頃そこにあっていじるものなのか非常に気になるところだ。
半導体ぶっ飛ばしたところでバチンと言って「びっくりした」で終わる。だがウランやプルトニウムはそれじゃ済まない。
安全を確保してから物事始めてくれ。あらゆるものが30センチの鉛で遮蔽されているのか、違うだろう。
明日こそ一日安全ヨシ。
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