短歌詠み(Phase2)
「これは短歌にしたい」という情動に駆られることが年に1~2回あると前に書いた。毎月提出するようになって意図して短歌読むようになったわけだが、情動が増えたかというとそんなことはないw。基本的に詩人の心理ではないのだろう。
その情動たるは見聞きした何かに心揺さぶられ、ときめいた証左なのだが、仮にそれだけを求めるならば、感覚を行き過ぎるあらゆるモノに神経を研ぎ澄まし、ときめきを探して回ることを要求する。それが自然に出来てしまう(気になってしまう)人を人は「感受性」という指標で評価する。しかるにオレの感受性は低い。それはさておき。
その鈍い感受性が動いた記憶を「在庫」と呼ぶならば、その在庫を払い出してどうにか月5首を捻出して送っている。それは結構苦しい行為であって、推敲を省略できない。その推敲は非常な集中力と応じた時間を要求する。「若いうちは変化球を使わず直球勝負で行け」とは野球の投手に対する至言だが、直球がすなわち感受性ならば乏しいので変化球を使わざるを得ない。ともすれば言葉遊びになりかねないのでさじ加減が難しい。そんなことに苦悩しているあたり短歌の本質からずれている。
ただ。テーマアップさえ在庫の量とマッチングが取れれば、まぁそう呍吟苦悩せず「三十一文字にまとめれば良いモノ」引き出すことが出来るようになってきた。ただそれが「良い歌」かどうかは話は別である。「何を詠み込もうか」ここの苦悩が少なくなっただけ。そこが少し変わったのでフェーズ2と称している。
ツイッターで「おっぱい短歌」というハッシュタグが回ってきたので1首詠める。感受性がときめいたらしいw
小さくもほどよいサイズも巨大でもおっぱいならばみんな大好き #おっぱい短歌
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