オーディオの斜陽
「パイオニア」のホームオーディオが不振を託ち、買い取ったのが「オンキヨー」なのだが、そのオンキヨーがやはりホームオーディオの不振で青息吐息という。確かに株価も冴えない。
オーディオがこの手の「単機能機を組み合わせてシステムを作る」……コンポーネント方式を採って久しいが、要はこいつが売れない。そりゃそうだ、音楽コンテンツの内容を聞くだけならスマホとイヤホンで事足りる。「視聴したいものを視聴したいときにチェックする」はスマホで事足りる。部屋を占拠して自分の趣味全快で家族隣人に不快な思いをさせることもない。
「美しい音と臨場感」これがコンポーネントオーディオに残された生きる道、となるが、実はそっちは技術の進歩が浸食しそうな勢いである。すなわち人間の聴覚は2つの耳に集約されるのであるから、「どういう波形がどういう音に聞こえるか」判明すればイヤホン2つで臨場感は作り出せる。そして音質も要するに音波発生体の物理特性に依存するので、それを補う作業をすれば、例えばここに映っている総額2千万円のシステムをイヤホンでシミュレートも十分可能ということになる。そして多くの場合、信号の純然性を維持するには回路規模は小さい方が短く損失も少なく都合が良い。イヤホン化の進展は「必然」とこうなる。
じゃぁ全部イヤホンとスマホを含んだポータブル再生機になってしまうのか。
オーディオが映像系と違うのは、コンテンツの消費作業において、じっと再生装置と対峙するという必然性がないことだ。すなわち、映像はじっとディスプレイを見ている必要があるが、オーディオは別にスピーカーにらみつけている必要はない、ということである。どころか、生活空間に環境の一部として音を配する……いわゆるバックグラウンドミュージックという存在スタイルがある。ちなみにそこに先んじて手を出したのが、いわゆるスマートスピーカーである。声を分析し、耳に提供する。オーディオメーカ各社の手遅れが実感されよう。ただ、現状のそうした機器群は音質においてKUSOであるから、「まだ」コンポーネントが選ばれる余地はある。ただし「この先」は落日を迎える。コンテンツの出口がスマホで充分な若者が、しかもお給金の少ない若者が、んなキカイを音楽のためだけに買うわけない。
いいのか悪いのか知らんけど放っておくとそうなる。
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