死刑
執行されたが空虚さの方が強い。失われた命は戻らないし、「それ以前」にも戻らない。あれ等は本気で「日本の王」になる(なれる・なるべき)と思っていたらしい。ノストラダムスの「諸世記」にいう「大義のために統べるマルス」であろうとし、新約聖書の黙示録にいう災いの後に来るイエスのつもりであったらしい。
おぞましく私は拒絶する。
公権力によって死んだわけで、それこそイエスとの同一化を懸念する。継続組織を泳がせておく公安の見識に首をひねる。あかんものはあかんのとちゃうか。
異常に囲繞された環境では異常が正常になり真実が見えなくなる。日本人と日本国全体、大丈夫か。
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