脳あるクルマの黎明【NOAH】
●相棒?
クルマは燃料制御・姿勢制御を中心に電脳化が進んで。
一方対人機能であるオーディオはナビやETCが加わって「コンソールの箱」にまとまり。
ドラレコやバックモニタなど「クルマ側の機能だが人に対して働きかける」機能が加われば両コンピュータが1つにまとまるのは当然の帰結。
パネルにタッチ、オーディオ→ソースSD→Kalafina→プレイモードランダム
「♪ひみつのたそがれに……」
いいねいいね。
「ブツッ」
……!?壊れた?ファイル書き込み失敗した?
『おはようございます。本日の名古屋の天気は晴れ……』
黙れ小僧。
トップ絵KITTはやり過ぎにしても、人工知能を備えて「人と車の仲立ち」へ進んで行くのはあるべき姿なのであろう。ただ、人が選んだ操作や機能を中断して割り込んでくるのは何らかの危険な状況がある時だけでよろしい。「安全」と「正常」がイコールであるクルマにおいては、それを遮る物は「異常」への警戒心を人に抱かせる。この辺のお節介はまだまだ車載電脳が「それっぽい仕込み」の次元を出ていないことを示唆する。まだまだ仕草を真似する幼児である。
とはいえ。
ステアリングホイールに付いてるこのスイッチをなぶって、ディスプレイを経由し、燃費や航続距離、外気温、エアコン、そしてオーディオなど、「クルマ自身、クルマを介した向こうの状態」をヒョイヒョイ選択してチェックして把握しながら運転するのは中々面白い。ちなみに、トランスミッションレバーに触ること殆ど無いわけだが、その分左手はステアリングを握る時間が増えるわけで、こうしたスイッチをいじくる余裕が存在する。言い換えると無駄なくこっちの操作にシフト。
走り屋さんの醍醐味はクルマという機械と一体化した自分の手足であり、機械と身体の直接対話、であろうが、この車載電脳を駆使した情報把握はそれの脳みそ番というアナロジーを感じる。接地感もダイレクト感もへったくれもねぇと前の記事に書いたが、コンピュータを介して頭の一体感を感じる。それはそれで快い。
「もしもし」
『はい●●病院です』
iPhoneはBluetoothで繋いであるのでオーディオ切られてナビ画面は相手先の名前と番号を表示する。もちろんハンズフリー。ちなみにUSBの充電口は4つあるので携帯端末の使用は好き放題。
21世紀のクルマである。そしてこの辺の電脳部分は初歩的だったねぇと俺が骨になる頃孫かひ孫に語られようぞ。
1回目の給油。10リットルのみ。航続距離80キロとかなのだが、コンピュータが燃料入れろとウッサイので。
« 「ポチッとな」の違和感【NOAH】 | トップページ | 抱き枕を買いました »
コメント