令和元年の災害を振り返って
・台風15号と19号
こいつらに焦点当てていいでしょ。いずれもほぼ予報通りの進路・勢力で上陸し、通過。であれば、もう少し被害を食い止められなかったか。
個人的にはどっちも以前住んでいた千葉に被害を与えた点で印象深い。花見をした近所の公園の桜が根こそぎとか、見慣れた風景が一変していたのが、後ろめたさを伴う痛みを呼び起こす。
千葉に関して言えば「備えを怠った」これに尽きる。「こんなにすごいと思わなかった」という弁を山ほど聞いたが、風速60mで電柱も倒れるレベルと言われていたのだ。飛ばされたくないものは引っ込めて、飛んできてもいいように対策をする。すべきじゃなかったか。
19号の広域水害に関しては、台風の通過コースから離れたところで大雨となり、大雨が降らないところで時間が経ってから水が溢れた、という不幸な要因はある。そこは下流域への気配りと情報発信が専門家には求められようし、住民側もハザードマップに基づく事前避難が必要だろう。
で、どっちにも共通して言えるのは、こういう言い方すると反発を招くと思うが「スマホ持ってて何で巻き込まれてんの?」である。
◆見たいものだけ見て必要な情報を取ろうしない
よく書くが、フィリピン沖の台風が日本を伺っている、というニュースが流れただけで、「え?台風来てるの?」とかヌカすバカ女や、伊豆半島の向こうに中心が来ているのに「全然雨風になってないから大丈夫」と勝手に解釈して運休電車に閉じ込められるバカ男とか、ネット経由で爆弾投げてやろうかと思うほど。
そりゃ毎日天気図見て台風が近づくとレーダーでリアルタイム追尾する自分はキチガイだと思うが、それにしても予報を見て「いつ・どこに」を確認しようと何で考えないのか。サイトが分からなくてもsiriに言えば引っ掛けてくれる時代であるというのに。
ちなみにここには台風の性質や地理的な距離感、地勢による影響など、基礎知識の欠落が大きく影響していて…いいや偉そうだが書く、要は「自然科学現象としての台風」という捉え方がされていないことに帰結する。ただそれは得手不得手があろうから、これもよく書くが、「強制的に情報を放り込んで避難させる手段」が必須であることを示唆する。個人向け緊急地震速報の展開だが、携帯端末ごとに位置情報から最短避難所を指示することは出来るはずだ。携帯電話にはそれを全く所持・理解できないギャップが存在するが、「押し込み、指示する」端末を行政で買い与えるくらいたかが知れてるはずである。事後の捜索にかかる費用と比べたら微々たるものだ。
令和元年を打撃した「大おやじ」と「小おやじ」は令和時代の台風対策に対するヒントを与えていった。そして再度同じ事態に陥ってはならない。それは愚かな国家国民のすることだ。
「遠い未来」の響きがあった21世紀に入って20年目を迎える。災害に立ち向かえる年となりますように。
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