起点にして機軸の喪失
志村けんがコロナに倒れた。
昭和40~50年代を小学生で過ごした世代にとって、志村けんは笑いとコミュニケーションの基軸であった。東村山音頭、カラスの勝手でしょ、ヒゲダンス…適当に悪どくて下品なので、往々にしてPTAの攻撃対象になった。が、30年余を経て振り返るとそれらは皆その世代を生きた我々の「ギャグ」の機軸そのものであって、大人になって振り返ると実に些末なことに当時の「大人」が噛みついていたと認識できる(カラスの勝手でしょの「2番」で♪そうよチンチンも長いでしょ、があったがサクっと禁止)であろう。
それが、まさか。
機軸が抜かれた喪失感は例えがたいものがある。虚脱感を抱えて惰性で仕事しているよう。
弔う声を多く聞くが、最大の追悼は「これ以上を防止する」ことであろう。これはネットで見た意見であるが、「うつらないように」恐々とするのではなく、各人が既にウィルスを持っているという認識の下、「うつさないように」するべきだと。みんなが「うつさない努力」をすれば、結果は、「だれもうつらない」が得られるはずである。
↑仕事で行ったことがあるが、取引先は志村の近親者とのかかわりや、ゆかりのお店など得々と話してくれた。郷土のヒーローなどではなく、同じ地に住まうことへの誇りを感じた。
志村!うしろうしろ!
みんなが、頭を下げてるよ。
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