羽ばたけなかった翅の旅立ち
拾ったのは3月29日であったから11日目か。
「飛べないツマグロヒョウモン」死んだ。
前日からエサ(砂糖水)を吸わなくなっていたから、まぁ間もなく、とは思っていた。
落ちていたそのまま、食物連鎖に任せた方がいいのか、可能な限り生きさせる(ただしオスとの交尾は絶望的)…どちらが正解だったのか。
一つ確かなのは、いずれにせよ最終結果は同一であり、「生態系自体への影響」はゼロだったということ。残酷な物言いだが数字は冷酷だ。
昆虫は娘が生まれて以降も何種類か飼っていて、応じて最期を看取るのであるが、大人のちょうちょが指先から蜜をなめるという事象は普通起こりえず、於いて現下にあって娘には程よい気休めであったようだ。現実が死を伴うとき、現実は往々にして人間の感情と相いれない結果に至るが、そういう経験しないと、今後も起こるであろうそういう現象に耐えられない。心は傷つきそれを直すことの繰り返しで、次第に硬いがしかし強くなって行く。
羽化失敗の影響であろう3本だけの脚でパンジーにしがみつく姿は、けなげで愛らしく、しかし全てを暗示していた。そしてその結果が訪れた。
それは娘の心に刻まれたであろうし、君が生きたゆえにそれは持たらされた。
小さな命に謝意を。君がいたパンジーを植え替えてやろう。
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