満を持して「つばめ」 #鉄道模型
昭和一桁の頃、東京発の「特別急行」に愛称名を付けようと公募した。結果まず運転開始されたのが「富士」「櫻」であった。そして「応募数三位」の名前は、少し遅れて東京-神戸間の列車に付けられた。
超特急「燕」。
もちろん蒸気機関車の時代で新幹線の今とは比較にならぬ。ただ、停車駅を少なくし、「蒸気」を作るに必須の水は専用のタンク車を連結し、峠越えの補助機関車は走行中に連結を外すなど、極限まで速度を追求した列車であった。常時最高速度で突っ走るくろがねの超特急…それは地面すれすれを流れ飛ぶ黒いツバメと適度に類比されるのであった。かくて「燕」は鉄道省→国鉄のイメージキャラクタとなり、現在のプロ野球「スワローズ」であったり、JR系の高速バスに描かれる「つばめ」の姿につながっている。
そして。
その「超特急燕」の血統を継ぐ昭和三十一年版「青大将つばめ」を土日鉄道に召喚する。これは元々「はと」(※)として発売され、「はと」で運用していたものだが、
「つばめ」に変更できることも可能だったことから、ジオラマ作成に合わせて車輪交換などのリフレッシュを行い「つばめ」に置き換えた。明智小五郎が下りてきた「一等展望車」を殿に据えた保守本流東海道特別急行である。
さぁ、飛び立て。
※戦前に設定された特急は戦争末期に一旦廃止となる。戦後、最初の特急として復活したのが「平和」で、1年後に「つばめ」に改称、姉妹列車として平和を象徴する鳥「はと」が登場。両列車は仕様を揃えて発展(本当は一等展望車の形式が違う)したことから、模型では「はと」として発売されるも、どっちで運転してもいいように愛称名を変えられるようになっている。ここではリフレッシュを機にガチ保守本流「つばめ」を名乗ることにしたもの。なお、本物の方は新幹線延伸と共に大阪-九州、更に九州内部の特急となり、現在は九州新幹線の愛称として親しまれている。
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