この手のひらの命が語りかけること
50年近く昆虫を見たり育てたりしているので、応じた数の「死」を見ている。それは「命」がある程度数値で予測できる存在であることを証明する。
このチョウは前にも書いたがツマグロヒョウモンという。庭に大量にはびこっている野生のスミレにとりついて食う。沢山の卵を産むことで知られる。今月頭、多くの産卵を確認し、孵化したイモムシがざっくり20。でも終齢の大きなイモムシ
になったのが10匹。
さなぎは5匹か。
応じて沢山、他の生き物に食われた。タマゴはアリが襲うし、幼虫はクモや、ハチなどの肉食昆虫、爬虫類両生類。そしてサナギになれても羽化に失敗する。
こいつら庭に居着いて1年になるが、居着いていると言うことは、出て行く必要が無いほど食い物が潤沢と言うことである。植物害虫であるヨトウムシなどは見つけ次第食わせているが、スミレからスミレへ地を這って移動するヒョウモンチョウ達も応じて食われているであろう。するとここに「生殺与奪の権」という世にも恐ろしいシロモノを自分が持っていることに気付かされる。保護飼育すれば育ち、但し自然淘汰より多くのチョウを放つことになり、カナヘビ共の食い扶持が減る。放置なら庭の生態系は回る一方、応じた数チョウは減るのである。
で、「庭なり自然のなすがまま」なのだが、ここで懊悩するのが「羽化失敗」である。実は冒頭のチョウは途中に出てくるバケツの下のさなぎの中身である。羽化中に雨水溜まった中へ落ちたようであり、アリが食わんと群がる中で、伸びなかった翅をバタバタさせてもがいていた。
手を出した私の行為は罪なのか否か。生きながらアリに切り刻まれて行く様を放置しておくべきだったのか。
この個体は先回の同様な失敗個体と違い、飛べはしないが歩く・掴まるは可能なので、このように綿棒に止まらせ、チョウであるからにはせめても花の中へ。綿棒に時々スポイトで砂糖水を補給。
オスのチョウは本来、羽化すると直後より体力の続く限りメスを求めて飛び回り、可能な限り交尾をする。餓えたら吸蜜し、さらにメスを探して回る。事故か寿命か、食われるか、動ける限りメスを求める。ちなみに飢えるまで食わないのは身体を軽くして航続距離を稼ぐため。全てはより多く、より広く、より遠く、メスと交尾し子孫を残すため。
ここでじっとしているしかない彼は、食われることはないが、交尾は出来ぬ。ただ手を出した以上、最期までの責を私は背負う。幾百の罪が今更ひとつ増えたところで。
●7/29補遺
朝には動かなくなっていました。土に還しましました。
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