黄色い電車の成り行き #鉄道模型
「これ、あげるよ」
隣の家のにーちゃんに青・黄ごちゃまぜ103系をもらったのは昭和59年のこと。「有限会社関水金属」のプラケースに入った彼らは昭和40年代の製造であることは明らか。
その頃には「東海道線指向」の意志を固めていて、応じて103系、しかも黄色を集める予定はなかったのだが、中学生に車輌増備は重い負担であったから、「譲渡」されたからには活用することとした。当初青黄混成のママ、追ってまだ単品売りのあったこのシリーズを買い足してそれぞれ4連組に育て、大いに活躍した。
だが、ライト類の一切点灯しないこのシリーズは「ヘッド&テールライト・室内照明」標準装備が進むに従い、継子になると共に、そういう仕様の103系が発売されてお役御免に成り果てた。
ただ。
千葉に住んだことにより「千葉っぽい」ラインナップとして「黄色い電車」自体の命脈は維持され、往年の総武線各駅停車仕様としてここに現役である。
まぁ、編成は固定されたし、連結器はより車間の狭いバージョンに変えてもいいかな。幌も付けてさ。
「わいもおるで」
土日鉄道千葉バージョン。そこは永遠の平成ヒトケタ。
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