父親の心臓手術の打ち合わせ
「11:30」との指定で11時に出向いて。
呼ばれたのは午後3時。13時の書き間違いでなく15時。
「時間を取ってお話ししたいので最後にしました」
だったら最初から午後にしろよ。本題に行け。
「平均寿命というのがあります…」
それ関係あるのか。
「一方平均余命というのがありまして」
うるせーな本題に行けよ。そうやって他の患者さんとだらだら話してるから遅くなるんだろうが。
要は年齢70代後半なので80代後半まで生きられる可能性がある。
で、父親はかなり症状の進んだ「間質性肺炎」を患っていて、こいつが手術による人工心肺の適用のみならず、全身麻酔、それこそコロナ感染など幾つかのトリガーで「急性増悪」(きゅうせいぞうあく:呼吸不全が急速に進行する病態)が発現するリスクを持っている。この場合、
「急性増悪時の治療は,一般的にはステロイドパルス療法が施行され,有効率は約1/3とされる.しかし,ステロイドパルス療法で一旦回復しても,元々IPFがあるため疾患自体の進行による病態も加味され,予後は非常に厳しいのが現実である」
(特発性肺線維症(IPF)の急性増悪/日呼吸会誌42(1),2004.)
要は助かりません。つまり、医者が提示したのは。
・2つの弁膜症を同時に外科手術で治療する。急性憎悪がリスクで、この場合助からない
・片方の弁膜症をカテーテル手術で治療する。もう一つの弁膜症は残り、間質性肺炎と共に緩やかに進行して行く
選べと。したが後者の場合、血流低下による生活、行動に対する制約が大きく、「生存率」は高いかも知れないが「生き様」(QOL:Quality of Life) としては劣るであろう。
そこで私は父に提示した。私が父の立場であるなら前者を選ぶ。なぜなら父としての業は次代へ引き継ぐことで完了しており、己人生全うするのみである。ならば制約の中で悪化や発作に怯えるストレスフルな日々を送るより、ヒトとしての機能の根幹である「心臓と血流」において可能な範囲で最善を尽くし、よしんば麻酔で意識の失われた状態で命尽きるなら苦しむことも無い。
対して父は何度も入院や手術を繰り返し、そのカテーテル施術も何時間も耐えねばならず、苦しい(カテーテルが血管におるので血の流れを妨げる)ことには変わりない。表裏どちらであれ「1発でけりが付く」なら選択肢は一つだ。
男の意見は一致した。
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