我が父連合弁膜症と斯く戦えり
特急「はちおうじ」とかいうそのまんまかつくそだせぇ列車で母親とともに病院へ向かう。正直ボッタクリでムカつくが、コロナ禍の今、人口密度が下げられる座席指定特急はありがたい存在ではある。サンドイッチで簡単な朝食を取り、仮眠。
(トップナンバーじゃねぇか)
新宿で乗り換えて8時には病室待合に入れて、8時半、輸液装置をペットのように連れた父を送り出す。
「首から下の毛全部剃られた」と苦笑い。しょうがねぇ、感染症の防止だ。
10時近くに手術後の話についてオリエンテーションというので、そこまでの小一時間で院内スタバへ。濃いコーヒーと甘味で一息。
ICU(集中治療室)の待合へ赴き、オリエンテーション。言うて「終わったら声がけします」という話と荷物の過不足確認、いらない分は持って帰れという話。ちなみに手術室の「手術中」の赤ランプの前でじっと待つとかドラマでよくあるシーンだが。
「ここでお待ちください。昼食時も院内から出ないでください」
うへぇ。しょうがないのでコンセントのある待合室隅に陣取り、会社パソ開いて可能な範囲で仕事。
父は9時よりまず全身麻酔。併せて最強の痛み止めとしてオピオイド系の薬を投与される。オピオイドの有名な薬としてモルヒネとかソセゴンとか。これらが効果を出すまで小一時間。
執刀、となる。胸を開き、骨を切り、心臓を包む「心膜」を切り開くと心臓が現れる。大動脈と右心房を人工心肺装置につなぎ、「心筋保護液」と呼ばれる、冷却された濃度の高いカリウム溶液を流すと、心臓筋肉の力が抜けて心臓の動きが止まる。これは正確に言うとカリウムと冷却効果で「次の拍動」までの時間を大幅に引き延ばしているのかもしれぬ。
確保できる時間は3時間とか。この間に大動脈を切り開き、機能不全となった大動脈弁を切除、動物の筋肉で作られた生体弁に置換する。引き続き左心房を開き、僧帽弁を確認。こちらは実物確認の結果、形成術を選択したという。すなわち固くなった部分を切り取り、残った部分を縫い合わせて「しなやかに動く薄い膜」を復元する。終わったら左心房、大動脈を縫い合わせて元に戻す。保護液を血液に戻せば心臓の鼓動は再開。
14時50分。
「終わりました」と執刀医が晴れやかな笑顔で待合に訪れた。とはいえ「人工心肺から自分の心臓に戻した」までで、縫合などはまだ残っている。ただ、主眼であった二つの弁膜症は取り除かれた。
さらに一時間ほどした16時過ぎ、ICUに戻ったというので案内される。
ベッドの上に仰臥して父はあった。見えているのは顔と手先。むくんで微動だにせぬそれらは、バイタルサインを示す機械がなければにわかに生を信じがたい。否否肌の赤みが血の色が違う。それは正しくガス交換された動脈血が正しく巡る肌の色だ。
リスクの説明を受ける。傷口からの再出血、脳梗塞の有無は意識が戻ってみないと判らない、肺機能の低下。緊急呼び出しのTEL番確認。
その間に看護師たちが呼吸の補助や輸液、ドレン(排水)の管をテキパキつないで行く。それだけの人手と機械の補助の元に、父は命をつないでいる。
ICUで24時間監視を受けるハイリスクなのは数日。その後も数週は一般病棟で入院様子見。
戦った男は、取り戻した拍動とともに眠っていた。
父よまずは戦場からの帰還を祝おう。退院したら、温泉でも行こう。
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