君よ再び鉄路によみがえれ
阪急電鉄の衝突事故については、クルマが電車と柵の間に挟まってぐるぐるのぺちゃんこになるという結果の重篤さの割には、人的被害は無かったようで、「不幸中の幸い」という表現が使えよう。ただ、電車の側は床下機器はじめ、クルマと干渉した痕跡など損傷が大きく、1988年製の電車ということもあって「廃車されるんじゃ?」というウワサがネットで飛び交っている。
この車輌は8000系という。更に言うとその「製造番号第1号」の編成である。鉄ヲタはそういう「1」を「トップナンバー」と呼ぶ。車両数が多いほど「1」とエンカウントする率は低く、「1」と分かるやニヤニヤ写真に収める御仁がどこの沿線にもいる。
(例えばオレや)
が、この「阪急8000」だけは、単なるトップナンバーではないのだ。
1995年1月17日・兵庫県南部地震「阪神・淡路大震災」
この地震で阪急の神戸地区は、この伊丹駅の倒壊に代表される極めて甚大な被害を受け、運転不能の状態に陥った。そんな中、「残った区間の残った車輌」が地震から27日の2月13日、御影~王子公園間で往復運転を始めた。
この「復興1番列車」こそ、今回事故を起こした8000系トップナンバーだったのである。御影~王子公園は駅にして全部で3つ。しかしこの「たった3つ」と、JRの復旧区間、阪神電鉄の復旧区間を乗り継ぐことで、大阪~神戸の鉄道移動が可能となり、復興が始まったと言って良い。
追って東北地方太平洋沖地震「東日本大震災」を体験した身としては、兵庫県南部地震の映像はその恐怖と絶望がいかほどであったか、大いに共感を覚えるものであり涙を禁じ得ないのであるが、だからこそ、黙々と3駅を往復し「つなぎ」続けた彼たちには特別な感慨を抱くものである。
どうか勇気を与えたその阪急マルーンの美しい姿で、もう一度、鉄路の上を疾駆して欲しい。
君よ、生き延びよ。
« 連休最終日 | トップページ | 11月25日やで »
« 連休最終日 | トップページ | 11月25日やで »
コメント