26年目の今日を迎えて
兵庫県南部地震/阪神・淡路大震災。
何度も書いているが幾らでも書いておく。その日は静岡の社員寮で6時半に目覚めた。揺れには気付かず、テレビをつけて地震を知った。
その時点で神戸の震度は表示されておらず、人的被害の話も「けが人」程度であった。いつもの通りに慌ただしく朝食を採り、出勤した。
次に情報を得たのは昼休みになってからである。会議室に弁当を持ち込んで食うのだが、そこのテレビをつけて全員目が点になり箸が止まった。
(https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030267_00000)
なんだこれは。
実家が尼崎という課長が血相を変える。「携帯電話ってレンタル無いのか」。1995年当時、インターネットは一般の道具とは言い切れず、携帯電話を持っていたのは部長より上と個人の好事家程度であった。
「京都からむこうへ行く電車動いてないですよ」
「歩く。しばらく休暇にするから。何かあったら部長で頼む」
震度7という階級は、福井地震(1948年)の揺れの強さを当時最大級の表現であった「震度6・烈震」でも不足と考えて設けられたもので、兵庫県南部地震が初の適用である。それはこの地震の激しさを物語る。
26年が経過した今、我々はこの地震で得た教訓に基づき、「命を守れる」ようになったであろうか。
この地震を契機に導入が加速したのが、テレビや携帯電話の「あの音」でおなじみ緊急地震速報である。
ただし、このシステムは複数の地震計から震源、大きさを計算して処置するので、それこそ兵庫県南部地震のような直下型では間に合わないし、単純に距離と伝搬速度で計算できない「深発地震」では速報が出ない。
また、現在の「耐震」住宅も兵庫県南部地震が契機になっている。
それでも、熊本地震や大阪北部地震など、ここ数年でも人的被害を抑え切れていないことから分かるように、「知る」「備える」についてはまだまだである。そしてこれも都度書いているが、
その福井地震(1948)-濃尾地震(1891)-三河地震(1945)の震源域は一直線に並んでおり、その並びのただ中に「名古屋」が存在する。このことは似たような断層が名古屋市の真下を横切っている可能性を示唆する。だが、今更そんな調査は出来ないほどに名古屋は都市化された。同様に各地の大都市は「地下の構造が分からないまま」人々が集まって住んでいる。最近顕在化した一例が熊本地震であり、大阪北部地震であろう。断層地図に書いてないから大丈夫、なのではない、まだ分かっていないのだ。
日本列島はその誕生自体プレートテクトニクスに由来し、動き続けるそれに翻弄され続ける宿命にある。3300万年後にはユーラシア大陸と合体し、2億5千万年後には北米・オーストラリアも合体した超大陸「アメイジア」の一部に成り果てる。要するに地震・火山はこの地の宿命であり、我々は子々孫々までその災禍に立ち向かい、守る術を伝える義務を負う。
今は当時の動画や写真、論文にネットで簡単にアクセス出来る。四半世紀昔のことと思わず、見て、感じて、考える必要がある。
6434の御霊に祈りを。
●気象庁特設サイト
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/1995_01_17_hyogonanbu/kiroku.html
« 久々にガチってみました #ポケモンGO | トップページ | 家で残業 »
コメント