46億年という時間
哲学に近いかもしれんが。
その昔「平安京エイリアン」というゲームがあった。平安京に侵入したエイリアンを検非違使が穴掘って埋める、というものだが、仮に本当に地球にエイリアンが侵入するなら、光年単位の真空を超高速で移動できる超科学を持っているか、億年単位の長時間生きられる超生命力を持っているか、どちらかであろう。であれば、「宇宙は銀河で終わりでは無い」と気付くのが1920年代の人類以下、地球に本当にエイリアンが攻めてきたらひとたまりもなかったに相違あるまい。一方で我々の存在は一定の確率で生命が育まれることを証左し、四大文明より数千年で現下科学水準を得るに鑑み、46億年という時間は、上記超科学・超生命を生み出すに充分な時間と考えられる。なのに現下、こうしてチキューカンキョーハカイガーとか言いつつこの星でのほほんと暮らしているのは、そういう生命体に達していないか、そういう科学力を得ていないか、まだ地球に到達していないか、実は我々はぼっちなのか。
実は地球に入り込んでいるが、我々が想定するのとは態様の異なる生命かも知れないとか、害悪を及ぼしていないので気付かないだけ、という可能性はもちろんある。「クマムシ」という生物は1ミリ内外のサイズでおよそ地球上のどこにでもいるが、絶対零度の真空で放射線ぶっ掛けられても生き延びるという。ひょっとすると「超生命」そのものかも知れないが、まぁ過酷な先カンブリア時代を経て獲得した進化した地球生命という理解が一般的であろう。
一方で地球が永遠の住処で無いことも明らかである。いつの日か太陽は今より膨張し、地球は干上がって地球型生命は居場所を無くす。その時人類かどうかは分からないが、その時代を迎える知的生命は存在するであろう。死や滅亡を意識しない(超越した)生命でないなら、生き延びる道は生きられる星を見つけるか作ること。過去46億年地球に訪れた生命が無いのに、向こう50億年で地球から他の星へ到達できるのであろうか。
ひょっと46億年何も来ないのは、そうやって生まれた星で繁栄し、星と共に命脈を閉じられるのが「生命の運命」を証しているのかもしれない。
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