リマインド大震災(3月9日の記)
「東日本大震災」という言葉は「東北地方太平洋沖地震」で生じた災害(建造物倒壊・がけ崩れ・山崩れ・地割れ・液状化・津波)を指す言葉であって「生じた事態の甚大さ」を表現したものだが、地震という現象自体・そのメカニズムに対する視点が少々ぼやけるきらいがあり、結果として「怖いね。自分の所で起きないで欲しい」で終わってしまい、「日頃の備え・心構え・その時何が起こるのか」の理解へ繋がらない気がしてならず、個人的にこの災害を論ずる際にはあまり使いたくはない。それはとりもなおさず次なる類似の内容・規模の災害として南海トラフが控えているからだ。振り返って震えているだけでは二の舞は必定であろうし、それは19689の御霊に申し訳ない結果にしかならない。もう少し「意味ある行動」に結びつくような活動にしたい。なので「その前」「その時」「その後」「今は何が違って何が出来るか・何をすべきか」を書くことにしたい。
2011年3月9日というと、後に「前震」と呼ばれるM7.2の地震が11:46に発生している。
職場(都内・ビル11階)でも初期微動~主要動が感ぜられ(この間30秒)、その時間差は遠地の大きな地震である事を示唆し、程なく震源が宮城県沖でマグニチュード7.2の情報が入った。それは35年程度の間隔で起きている「宮城県沖地震」が先回1978年であり、それとも思われたのだが。
・震源が浅い
・震源が遠い
ことから違うようだと判断した。なおこの当時、この地震はユーラシアプレート内部のものと言われたが、現在では通常の宮城県沖と同じユーラシア=太平洋プレート境界で生じた逆断層で、ただ、震源が宮城県沖より遠く浅いものだったと判明している。ユーラシアプレートが動いたので、その末端に載ってる関東・東京も揺れを感じたという仕組みになる。
ただ、どちらにせよ、
・宮城県沖ではない
・近く発生するだろうからその周辺で起きるのはしょうがないよね
程度で、それ以上調べたり、「その後」を気にすることもなかった。
(続く)
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