リマインド大震災(3月11日の記)
地震の当日。2011年3月11日金曜日。
「14時46分」以前の記憶はそれ以後に上書きされてほぼ皆無である。週末だから出勤はグリーン車(※)で寝て行ったであろうと思う。定時後は歓送迎会が予定されていた(※関東地方は普通列車にグリーン車を連結している。定期券+グリーン料金で乗れる)。
毎週月曜は週次報告なので、金曜午後は週報を作成する。15時ちょっと前にコーヒーを淹れるのがルーチン。
14時46分。
(クリックで動画)
揺れ始める。カタカタ・カタカタと什器や机上のものどもが音を立てて振動が伝わる。30秒を過ぎて次第に大きくなり、その揺れ方は2日前を彷彿させる。宮城県沖本体、ついに来たか。
が、長い。主要動に遷移した、と認識してから30秒、トータル1分過ぎても収まる兆しを見せない。
その瞬間。
「ズシッ」
2000年代になって落成した最新鋭の超高層ビルが全体から音を発したのを覚えている。コーヒーが紙コップから飛び出す。棚の上のパイプファイルが落ち始め、パーティションの合わせ目がギィギィ音を立てながらパカパカ動く。
「おおっ!」
男性社員達が一斉に顔を上げる。女性社員からは幾らか悲鳴も。
上下の揺れと左右の揺れと、更に周期を異にして前後にも揺れる。
あらゆる方向に船のようにゆさゆさ揺れる。コンクリートの構造物がギッ、ギッ、ときしみ、長いワイヤのような物が唸りながらぶつかるパシーン、パシーンという音が響く(多分エレベータ)。
「東海地震来ましたかね」
先輩社員とそんな会話をしたのを覚えている。自分の身体が水平から傾いているのが分かるのであり、それは「ビルの11階にいる」という認識によって、このビルが倒れる状況を真剣に想起させた。それは2001年米国同時多発テロのビルのように、自分は巨大な建造物の中のゴミのようなサイズになろう。その間の30秒が何と長く感じられたことか。
そのフロアは「破壊・落下・倒壊」がほぼ無かったことは幸いであったかも知れぬ。パーティションは外れて傾き、移動書庫がゴロゴロガシャーン、ゴロゴロガシャーンと音を立てたけれど、そこまで。
3分を経過し、揺れは収束してはいないけれど、慣れてきた。個人の危機は脱した。
防災用ヘルメットを被り、携帯(当時ガラケー)で妻へメール「大丈夫か」…通信困難であろうから返事は期待しない。及び自宅は鉄筋アパートであるから、倒壊の可能性は無い。
ここでようやくビルの自動放送が反応する『地震が発生しました。このビルは安全です。落ち着いて行動して下さい』うぃー、うぃー。いやそのサイレン怖いって、そして遅いって。
ヤフーを開く。庶務ギャルの方が早い「宮城震度7だって」。この時点M7.9。
宮城県沖にしては大きすぎるのではないか。
「地震の連動」の可能性はこの時点で知識として持っていた。「宝永地震」は東海・東南海・南海の連動であろうと。宮城県沖でそれが起きたか。
大津波警報が出る。さもありなん。ちなみにこの時いつまでも身体が揺れているような感覚があったことを記憶している「地震酔い」という奴だ。
「あれ火事じゃない?」
庶務ギャルの声が上がり、窓際に人が集まる。
「え~やばくない?」
「はいはい仕事に戻って」
M7.9。大津波。「大きな宮城県沖」と思った。この時点では。
15時15分。
ずしん。
「また来たー」
余震、知識はそう教える。余震は本震のマグニチュードから1引いたくらい、そういう経験値があると知っていた。
「やべー」
「終わらないぞこれ」
流石に今度は机の下にもぐる。この時点で「今日、電車が動く」ことは無いだろうと直感する。そして、余震が東京でこんな震度になるなら、
本当にさっきのはマグニチュード7.9だったのか?
仕事なんかそぞろ。ワンセグでテレビ「M8.4 大津波10m」。
「業務中ですよ」
ああ、はい。しかし。
余震が来る。余震が来る。余震が来る。
地震の発生日 | 地震の発生時刻 | 震央地名 | 緯度 | 経度 | 深さ | M | 最大震度 | 検索対象最大震度 |
2011/3/11 | 14:46:18 | 三陸沖 | 38°06.2′N | 142°51.6′E | 24 km | 9 | 震度7 | 震度5強 |
2011/3/11 | 14:51:20 | 福島県沖 | 37°18.6′N | 142°14.2′E | 33 km | 6.8 | 震度5弱 | 震度3 |
2011/3/11 | 14:54:31 | 福島県沖 | 37°30.4′N | 141°21.1′E | 34 km | 6.1 | 震度5弱 | 震度2 |
2011/3/11 | 14:55:53 | 茨城県沖 | 36°29.5′N | 141°46.3′E | 55 km | 6 | 震度3 | 震度2 |
2011/3/11 | 14:58:06 | 福島県沖 | 37°41.3′N | 141°56.0′E | 35 km | 6.6 | 震度5弱 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:03:59 | 茨城県沖 | 36°19.7′N | 141°57.7′E | 17 km | 6 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:05:06 | 福島県沖 | 37°31.1′N | 141°37.3′E | 22 km | 5.9 | 震度4 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:06:11 | 岩手県沖 | 39°02.6′N | 142°23.8′E | 29 km | 6.5 | 震度5弱 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:07:16 | 茨城県沖 | 36°18.1′N | 142°13.5′E | 20 km | 6.5 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:08:53 | 岩手県沖 | 39°49.2′N | 142°46.0′E | 32 km | 7.4 | 震度5弱 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:11:19 | 茨城県北部 | 36°51.8′N | 140°37.1′E | 6 km | 5.5 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:12:59 | 福島県沖 | 37°13.6′N | 141°38.7′E | 39 km | 6.7 | 震度5弱 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:15:34 | 茨城県沖 | 36°07.2′N | 141°15.1′E | 43 km | 7.6 | 震度6強 | 震度4 |
2011/3/11 | 15:19:03 | 茨城県沖 | 36°17.4′N | 141°07.5′E | 33 km | 5.7 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:20:02 | 茨城県沖 | 36°05.6′N | 141°45.9′E | 34 km | 5.8 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:20:44 | 茨城県沖 | 36°35.3′N | 141°43.4′E | 62 km | 5.7 | 震度3 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:21:28 | 三陸沖 | 38°16.5′N | 142°50.5′E | 6 km | 6.2 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:23:06 | 岩手県沖 | 39°01.2′N | 142°24.6′E | 31 km | 6.1 | 震度4 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:25:44 | 三陸沖 | 37°54.8′N | 144°45.0′E | 11 km | 7.5 | 震度4 | 震度3 |
2011/3/11 | 15:25:47 | 茨城県沖 | 36°38.2′N | 141°04.6′E | 40 km | 4.6 | 震度3 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:28:48 | 茨城県沖 | 35°54.3′N | 141°18.4′E | 25 km | 5.2 | 震度3 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:29:15 | 三陸沖 | 37°56.0′N | 143°55.9′E | 15 km | 6.9 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:30:12 | 茨城県沖 | 36°03.9′N | 141°04.3′E | 35 km | 4.5 | 震度2 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:31:32 | 福島県沖 | 37°22.7′N | 141°53.7′E | 16 km | 5.7 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:33:16 | 福島県沖 | 37°29.5′N | 143°31.8′E | 40 km | 6.4 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:34:45 | 福島県沖 | 37°03.9′N | 142°07.8′E | 39 km | 5.5 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:35:25 | 茨城県沖 | 36°02.3′N | 141°02.1′E | 38 km | 5.1 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:36:34 | 宮城県沖 | 38°25.7′N | 142°14.3′E | 16 km | 5.1 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:37:36 | 茨城県沖 | 36°44.2′N | 141°04.8′E | 33 km | 4.8 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:38:07 | 茨城県沖 | 36°10.9′N | 141°51.1′E | 24 km | 5.6 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:44:08 | 宮城県沖 | 38°44.7′N | 142°12.9′E | 40 km | 5.4 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:49:50 | 岩手県沖 | 40°06.5′N | 142°37.0′E | 7 km | 5.9 | 震度4 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:54:13 | 福島県沖 | 37°11.0′N | 141°26.3′E | 48 km | 5.2 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:55:41 | 茨城県沖 | 36°34.7′N | 142°01.6′E | 79 km | 5.4 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 15:57:13 | 千葉県東方沖 | 35°49.1′N | 141°10.9′E | 28 km | 6.2 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 15:59:01 | 福島県沖 | 37°31.9′N | 144°25.9′E | 50 km | 6.8 | 震度2 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:00:33 | 茨城県沖 | 36°37.9′N | 140°53.7′E | 46 km | 4 | 震度2 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:03:01 | 三陸沖 | 38°08.7′N | 142°47.3′E | 23 km | 5.8 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:04:16 | 宮城県沖 | 38°59.0′N | 142°25.6′E | 24 km | 5.7 | 震度4 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:09:11 | 福島県沖 | 36°41.6′N | 141°59.3′E | 37 km | 5.5 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:10:56 | 三陸沖 | 37°49.1′N | 142°51.5′E | 27 km | 6.2 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:13:46 | 茨城県沖 | 35°57.1′N | 141°58.5′E | 50 km | 5.8 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:14:57 | 茨城県沖 | 36°33.4′N | 142°02.4′E | 25 km | 6.8 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 16:16:56 | 福島県沖 | 37°08.4′N | 141°25.0′E | 48 km | 5.3 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:17:43 | 福島県沖 | 37°08.5′N | 142°35.4′E | 20 km | 6.5 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 16:25:36 | 三陸沖 | 38°03.8′N | 144°30.1′E | 40 km | 6.2 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:29:00 | 岩手県沖 | 39°01.3′N | 142°18.6′E | 17 km | 6.6 | 震度5強 | 震度2 |
2011/3/11 | 16:31:19 | 茨城県沖 | 36°09.0′N | 141°30.3′E | 39 km | 5.4 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:31:54 | 岩手県沖 | 39°38.5′N | 142°36.5′E | 22 km | 5.5 | 震度2 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:42:55 | 茨城県沖 | 36°04.7′N | 141°13.9′E | 37 km | 5.4 | 震度3 | 震度2 |
2011/3/11 | 16:43:51 | 福島県沖 | 37°08.0′N | 142°32.3′E | 46 km | 5.5 | 震度2 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:44:29 | 茨城県沖 | 36°18.0′N | 141°54.0′E | 60 km | 5.6 | 震度4 | 震度2 |
2011/3/11 | 16:45:22 | 茨城県沖 | 35°59.6′N | 141°04.4′E | 41 km | 5 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:49:45 | 茨城県沖 | 36°33.3′N | 141°58.0′E | 34 km | 5.5 | 震度3 | 震度1 |
2011/3/11 | 16:56:09 | 福島県沖 | 37°02.9′N | 142°34.1′E | 11 km | 6.2 | 震度3 | 震度1 |
「…」
「ちょ…」
仕事しろと言う方が無理。
5時になりみんなして会議室に行ってテレビをつける。
「M8.8観測史上最大」
未曾有の大災害が生じたことに間違いは無かった。当然、電車なんか動いていない。
「飲み会どうしましょうか。キャンセルならお店に連絡しないと」
すると部長が。
「いや、行くぞ。いつ帰れるか分からんし、次、いつ食えるか分からん」
ちなみにオフィスのあるビルの地下は食堂街。電車が止まっているので帰宅不能になった人達が「とりあえず飯」でごった返している。
「さっきの地震でガスが止まって電気コンロ1台でやってますので時間掛かります」
「時間気にしてる奴なんかいないよ」
テレビ見ながらみんな黙々と天ぷらコースを食う。この時点みんな「今そこにある危機」に手一杯だし、深刻な災害の常として「本当に被害の大きな所」の情報は入ってこない。
妻からメールが返ってくる。「玄関の花瓶が落ちて割れた」娘は無事。ならええ。今夜は帰れない。
弟ともメールが通じ、実家も無事。家族全員問題なきことを確認。
結局天ぷらには2時間を要し、8時過ぎてオフィスへ戻ることにする。店を出るとコンビニのレジ待ちが通路にはみ出していると共に、他の飲食店はキャンセル等を材料にしたらしくお弁当を作って500円でワゴン販売。
週報だけは作って仕事としては〆。あとはテレビ。
これは…何が起こっている?そういや津波の被害は?
は?
壊滅状態って何だ?
日本国、やばいんじゃないのか。
(続く)
« リマインド大震災(3月10日の記) | トップページ | リマインド大震災(3月12日の記) »
コメント