安い・簡単・便利・喪失
「音楽の聴き方」が多様化している。
入手方法は
・放送やネットなど「流れているものを聞く」
・ダウンロード
・音楽の記録された物体を購入
耳に入れる方法は
・据え置きオーディオ装置で再生
・手のひら媒体からイヤホン等で再生
CDが登場し、パソコンが現れて、デジタル音楽プレーヤが誕生……という段階を見てきた我々世代は、CDからパソコンを経由してプレーヤに取り込む作業に何ら抵抗を感じない。しかし幼いときからスマホだけを見てきた世代にとっては、この手段を知らなかったり、パソコン自体無かったりする。
スマホからアプリ操作でWiFi経由でスマホにリッピングする機械。いつぞや交通系ICカード世代は「紙の切符」の買い方を知らない、と書いたが、同じ部類である。使ったことのないものの使い方なんか知るよしもないのである。切符にせよリッピングにせよ「何かあったときに回帰すべき原点」なのだが、それが見事にミッシング・リンクになっている。家電製品が動かないとサービスマンを呼びつけたら電源コンセントが抜けてましたとかザラだ。失笑する向きもあろうが、こういうのが拡大すれば「画面に表示されないことは何も知らない・できない」総合バカ国家ができあがることに慄然となるべきだろう。それは原理原則をぶっ飛ばして上澄みの結果だけ享受しているなれの果ての表れに過ぎない。
「スマホでネット上の音楽を聴く」行為は、「音楽を聞きたいときに聞く」ために必ず発生した↑この作業から万人を開放し、アクセスの簡略化に寄与した。その一方で、簡略であるが故に、この行為を行う意義を感じられず、応じた専門知識を持とうとする者自体を減少させてしまった。日本の技術は多く趣味が高じて仕事になったの繰り返しで維持されている。なれば、画面が取って代わった技術は最悪の場合、継承されない。大げさだ?地図を使ってナビゲーションできる人はやがて居なくなる。すると地図が語る地勢や文化圏形成の成り立ちを理解したり、興味を持って調べる者もなくなる。
「安い・簡単・便利」
あなたが業務や面接で「利益や売り上げを伸ばすにはどうすればいいか?」と問われたとき、↑こいつを流れ星に願い事するように口にすれば大抵、褒められるであろう。ただその利便と引き換えに「難しいこと」への興味と挑戦が失われて行く気がしてならない。困難を簡単にしょうとした努力の結果が簡単なので、困難に挑戦し続けないと新たな利便は生まれない。
自戒を込めて
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