栄光の特別急行「つばめ」
新年だしおめでたい感じの列車を走らせたいと思って「つばめ」をチョイス。なお、同じ姿で「はと」も運転された。
特別急行「つばめ」。ルーツは昭和5年。時の鉄道省は東京-大阪・下関間に運転する特別急行の愛称を募集、「富士」「櫻」とともに、最初に列車に付けられた愛称名「燕」である。ただし「燕」は当時「超特急」とされた東京-神戸間列車に与えられた。スピード重視の列車に対して「燕」はまことピッタリの名前だったと言えよう。戦後国鉄によって復活し、昭和31年11月19日、東海道本線全線電化に合わせて塗り替えられたのがこの姿である。時のファンをして、そのあだ名を青大将。青緑の流線型機関車を先頭にぬめぬめ動く姿から来たものだが、「大将」ということで国鉄内部でもまんざらではなかったとか。
最後部は常に一等展望車が務めた。「常に」……すなわち、東京なり大阪なりに到着した列車は「編成ごと向きを反転する」。具体的には例えば東京の場合、今の横須賀線西大井まで進行し、バックで山手線大崎駅に入り、東京駅方向へ出て行く。
これを毎日、「つばめ」「はと」の2列車で繰り返された。
そしてその展望車。山口線にいる「SLやまぐち」用の35系客車展望コーナーや、西日本「TWILIGHT瑞風」にデザインが受け継がれていることにお気づきだろう。ソファを備えた展望室10名、一人がけ座席8名、3人用個室と6人用個室、すなわち、1両で27名。給仕……スチュワーデスが乗務して接客する。「つばめガール」「はとガール」と呼ばれ、当時憧れの職業だった。
そしてそれはこの色に変わって4年後、現代に連なる電車特急への置き換えによって、歴史の彼方へ走り去り、伝説に変わるのである。
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