祈りから願いへ
トンガの噴火と「津波のようなもの」の襲来は、図らずも27年前の今日という日のリマインドになったのではあるまいか。
1995年1月17日、兵庫県南部地震、阪神・淡路大震災。
その日の出来事や、メカニズム・防災への心構え等は、このページとして語り尽くした感があるが、昨今、当時現地にいた方々が、重く、つらい体験を語って下さるようになった。目の前でご家族を亡くされたり、ご家族の亡くなった姿を目の当たりにしたり。過酷で癒されることのない経験を、使命感を持って口にして下さるようになった。
それは「身を守るための備え」に強い動機を与えて下さる。「あのときこうしていれば……」その思いに心は経験を口にする都度、傷ついていらっしゃるのではと憂う。されど、だからこそ、同じ経験はここまでにという強い願いの故にと思う。
犠牲になった方々の冥福を祈る日であるが、それは同時に、再びの同じ惨禍を繰り返さないことで達せられるものであろう。それは、今後我々が行動で実現すべき願いだ。
転倒防止のあれやこれやは、コストも掛かるし、見栄えも悪い。でもそれで命を守る10秒が確保できるなら。
いま、自分が住んでいるこの家は、27年間の地震に基づき設定された基準でできている。
私は、尊い犠牲に守られている。
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