父、死す
私事だが、まぁ、記録として。
朝7時半。母親が携帯にかけてくる。こんな朝早い電話はだいたいロクなもんじゃねぇ。
父が息をしていない。母の言葉は全てを表していた。救急車は呼んだという。ただ、母一人では父の身体を動かせず、次善のアクションが取れない。
会社に連絡を取り、後を託し、弟に連絡を取る。クルマで行った方が何かと役に立つだろう。
しまった心療内科を予約していた。
「実家に帰る用事が出来て、9時からでお願いできませんか」
「すぐ来て下さい」
がら空きの心療内科。
「父が危篤で」
「すぐ行ってあげて下さい。また1ヶ月後に」
処方箋をもらい、薬を受け取り、ガソリンを入れ、帰宅して泊まりがけの準備。そして母からメールが届く。
だめだった。
9時12分。父は世を去った。
妻子が同伴してくれるという。弟も出社はしたが引き返す。
義父はデイサービスでそのままお泊まりに切り替えてもらった。持って行く荷物にスーツと数珠が増える。
出立して新東名を東上する。とはいえ距離300キロ。昼を大きく過ぎる。
家で発見された「不審死」のため、警察が入ったという。根掘り葉掘り聞かれ、ガサ入れで写真を撮りまくられた。
弟一家と相次いで到着したのは3時を過ぎてから。父は警察で検案書を作成中。
猫がリビングに居座りじっと動かない。判っているのだ。
警察から電話があり、5時過ぎに来い。
検分した医師の見解は「糖尿病による虚血性心疾患」つまり、心臓自体を動かすための血管が詰まり、心臓が止まった。今朝の八王子はー5℃と冷え込み、応じて血圧が上がったであろう。剥がれた血栓が心臓の血管に詰まったのであろうか。手術より1年。術後しばらくは元気だったと言うが、次第に調子を崩したという。今年は殆ど動けず、足はむくみ、内出血していた。心臓が次第に弱っていったというなら、全ての因果は説明できる。
「これを書いて役所へ」
死亡届。
ただ、父は搬送を請け負う会社の車中にあり、白いカバーに覆われたまま。今夜は葬儀社の安置所で過ごすという。「会える」のは明朝だ。
猫はじっと動かない。時折、宙を振り仰いでニャーと鳴く。
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