受け継いだもの
「この靴下とか折角買ってやったのに全然はいてないんだよ。持ってって」
はいはいw
父方の実家・祖父の記憶はあまりない。
取り寄せた戸籍を眺めていたらその少ない記憶が発掘されたので書き留めておく。
祖父は明治27年(1894年)の生まれである。勝海舟が存命(明治32年没)である。このことは、曾祖父、少なくも高祖父は江戸時代の人であることを意味する。教科書の向こう、昔話の世界である江戸時代だが、よくよく考えると2022年は「明治155年」であるから、4世代で江戸を見るのは不思議なことではない。
祖父は出征し海軍で戦艦のコックをしていたという。記憶の最古で祖父は食堂を営んでおり、父に連れられて店を訪れ、ざるそばを食わせろとダダをこねたことを思い出した。ただそれ以上の「動いている祖父の姿」の記憶はない。母方の祖父にはいつもあちこち連れて行ってもらったのに比して、父方は距離感があったという印象がある。1975年、祖父は自分が5歳の時に他界した。聞けば自分は部屋に安置された祖父の棺を離れず、ついに眠り込んだという。多分、唯一に近い自我に基づく行動が「ざるそば食わせろ」を悔いたのだと思う。ただし、葬儀の間は退屈して近所の草むらでいとこのねーちゃん引っ張り出してバッタ取りをしているw
多分、昭和後年に生まれた我々の責務は、親や祖父母から戦争の記憶を受け継ぐことだっただろうが、そんなわけで祖父については「海軍のコック」およびそのスキルを生かした食堂、としか把握できていない。ちなみに父自身は「疎開してくる側」の居住であり空襲等の経験は無い。なお、母は1945年6月19日「福岡空襲」で母の母(昨日記事のオレの祖母)に背負われ逃げた記憶が明確にあるという。
そして、父親。
石原裕次郎が好きだったわけだが(そして石原慎太郎が死んだ)、っぽい生き様であろうとした、ように思われる。心臓手術の説明においては、「肺機能が急激に増悪して死ぬこともある」と脅されて震えながら聞いていたわけだが、切るかどうか迫る医師に対して「オレが父親の立場なら切る」というオレの助言で決断をした。複合弁膜症かかえてビクビク生きるよりは、死ぬにしても麻酔とモルヒネでお花畑だからどうせわからん、を取ったということになる。
だったらもうちょい生きてろやとも思うわけだが、いきなり心臓が止まっただろうから、安らかとは言えないまでも、ズバッとした死に様であるとは言えるわけで、まぁ、男らしさはあったと言えようか。
49日修行して仏になって涅槃で待っとけ。ただオレは21世紀の医療技術や延命措置フルに使うぞw
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