4月25日の鉄道模型
塚口より事故地点方向をのぞむ。
ウクライナや観光船事故で前に出てこないが福知山線事故の日である。鉄道趣味者として今日という日にこの趣味に興じることはいささか忸怩たるものがある。ただ、同じく人災である桜木町事故(1951年4月24日)と共に、応じた力学や構造と共に趣味者ゆえの知識を持って語り継ぐべきものであると思う。例えば先の列車放火事故で取り上げられた「非常コック」は、桜木町事故で乗客が閉じ込められて焼け死んだ教訓として備えられたものだ。
一方で地震による新幹線の脱線など、人の手に負えないエネルギ量で原理上防止できない事象が起きてきつつある。「理論上存在しうるものはどんなに馬鹿げていると思うものでも必ず存在する」とは物理学の至言だが、見よ、原発を愚かな対応でぶっ飛ばした会社と政府があるではないか。
信号システムや各種保安装置、子供達もマネする指差呼称など、実は尊い犠牲を経て再発防止の願いを込めて導入された仕組みやルールなのだ。それは経緯を理解して意識して励行してこそ意味を成すものであり、形骸化・習慣化は避けねばならず、また、あってはならない。「ルールだからやれ」ではなく「こういう理由でルール化したのだ」と教え、理解し、語り継ぐ必要がある。人はミスをするし機械も故障する。互いに補って初めてシステムとして機能する。
電気と機械が人に利便と幸福をもたらす存在であり続けますように。今日も一日ゼロ災ヨシ。
« 全て憶測に過ぎないのだが | トップページ | 税金の季節巡り来たりて »
コメント