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2022年9月16日 (金)

ラウドスピーカーのレゾンデートル @ReijiAsakura

妻はよくスマホから音楽流しながら家の中を歩いている。YouTubeであるが、ストリーミングサービスも同様であろう。「手軽で、持ち歩ける」音楽に触れる現下最もスタンダードなスタイルと言って良い。「手のひらの機械で完結する。それ以上不要」そこに落ち着いて当然である。ワンタッチ、尚且つ、余計なものは要らない。

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「無関心品質」という言葉が見えると思う。「音質」は音楽好きの人であっても、多くの場合、「無くてもかまわない」……無関心品質であって、スピーカーにより居場所を拘束されるのはむしろ「逆品質要素」ですらあると言える。かつてスピーカーはそれがないと音楽聴けないので当たり前品質であったが、パラダイムシフトにより右下の象限へ墜落したということだ。「スピーカーで聴く魅力」これを打ち出さないとオーディオという品質志向は滅びる、こういうことになる。

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ホームシアターを志向する「HiVi」誌は、その基本コンセプトに基づき映画を推している。リビングをスピーカーで囲って映画館、というわけだ。ただ、悲しいかな現下映画は「サブスクでスマホで倍速」が上記音楽の聴き方と同じポジションにある。「別にそこまで凝らんでも中身は分かる」に勝てる魅力があるとは思わない。

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一方、老舗の「stereo」誌はレコードを前面にフィーチャーした。オーディオの高齢化に対応した逃げの構成……と言えなく無いが、実は上記「スマホでブラウズ」の世代にとって、「音楽を聴くまでに所用の儀式を要する」のはエモいんだそうな。気づいた方あるかも知れぬ。現下こういう「メカメカしいメカ」はあまりない。SLはインバータ制御の電車に変わり何ならボタン一つで自動運転。クルマのトランスミッションはハイブリッド+CVT化されてクラッチどころか段数すら失い、自転車のギアもマイコン制御でボタンを押すだけ。比してここには機械の電源を入れ、音源をセットし、メカニズムを所定の位置にロードするという人間の感覚と作業を伴うギミックが残っている。要はそれが「根本的な機械好き・ガジェヲタに刺さる」のである。

オーディオは過去、「音を出すまでのアプローチの簡略化」を図ってきた。ラジカセであり、ボタンを押せば動くCDであり、究極が画面を触れば良いスマホである。そしてスマホになった瞬間、それは「オーディオ機器」の役目ではなくなった。オーディオはヲタクがいじるガジェットであり、音質という無関心品質をひたすら追求する空集合に成り果てたのである。ならばもう、原点に立ち返り、むき出しの機械だけでいいのではないか。ジェネラル・カジュアルに振り向いてもらうことに汲々として媚びを売る必要はないのではないか。複雑な操作系と面倒くさい配線と、応じた理論をある程度理解できる層に向けて作っておけば良いのではないか。ただ、スマホを帯域に制限のあるBluetoothでなく、クレードルにブッ挿すとUSBで次元の違う音をスピーカーから出せる。そこに共鳴した人だけ拾っていけばいいのではないか。

オーディオの始まりは、発明されたばかりの電話でコンサートの中継、今で言えばパブリックビューイングを行った時に「発見」された偶然である。たくさんの人に試してもらうためにたくさんの電話を用意した。客の一人が電話機を二つ使って両耳にあてがった。すると……そう、イヤホンを両耳に挿したのと同じ、「ステレオフォニック再生」が達成され、コンサート会場が立体音響となってそこに出現したのだ。そうなると今度はデカいスピーカをこさえてコンサートホールのように響かせるという発想が生まれる。リアルを追求する歴史が始まるのである。それが100年を経てイヤホンに回帰し、進化した「電話」に戻ったのである。当時と違うのは、音楽自体が仮想空間でも成立する「実の空間を必要としない音色と音階の流れ」に変わったことだ。これはコンサートホールの再現を要求しない。イヤホンで良い。聞けりゃいい。すなわち「最低限必要」の地位をスピーカーは失ったのである。「スピーカーだからこそ」の新しい価値、存在意義、寄って立つ場所の創造を要求する。比して両雑誌は「スピーカーはあって当然」から脱却できていない構成に思えるがいかがか。

絶望的なようだが、一つ光明と言えるのは、音楽は「ストーリーを追いかければ何とかなる」映画等と違い、メロディに心と体を共鳴させて幸福感を得るものであるから、「飛ばし見・つまみ食い」は楽しんでいることにならない……音楽家各位ハッとされたい……そういう手合いに媚びる必要はないのだ。それは流行りを掴んでおこうという情動に過ぎず、音楽を「聴いて」はいない。序破急や起承転結をすっ飛ばしても感動は得られない。どうせそんな手合いはカネ出して音を買ったりしない。エモーションを起こすには応じた手順が要る。媚びて手順をすっ飛ばすとエモーションのレベルは下がる。「運命」は3つの楽章があるから、ギャップレスで展開される第4楽章で開放されるのだ。

「共鳴した人だけ拾っていけ」機械にも音楽にも存在する、というのがぶん回したい自説である。導かれるのは、スマホでシャカシャカを超えた世界が存在することを周知し、そのエンカウントの確率を高め、応じた楽曲もきちんと作る。地道なアウトリーチこそが音をスピーカーで再生したいという欲求を惹起する現在確実と言える手段のひとつではないのか。サウンドバーで良い。リビングなり、自室なり、「一定の時間過ごす部屋」はあるはずだ。スマホを持っていると言うことは、逆に言うと音源を持ち歩いていると言うことだ。ならば、それをスマホから解放する仕掛けがあちこちにあって良い。充電がてらスマホを挿してそのまま画面をいじれば、離れた二つのスピーカーからステレオフォニック再生の豊かな音場が目の前に広がる。それだけで音楽を楽しむ人の心を捉える力がある。YouTubeでも次元が変わる。

我々が共鳴したのだから、我々がいじることを楽しんだのだから、21世紀の、令和の今でも、共鳴する心は、必ずある。なぜなら時代は変わっても人間であるから。
ハードを売るのでは無い。ハードを通じて得られるエモーションを楽曲と共に高い品質で提供する。それが「趣味としてのオーディオ」であろう。嘆く前に、新しいパラダイムであるべき姿を再構築しようぜ。

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