リサ・バティアシュヴィリ『シークレット・ラヴ・レター』を聴く @ReijiAsakura
(↑クリックでe-onkyo)
評論家麻倉せんせ猛プッシュということで落として聴いてみる。普段弦の倍音やピアノの再現性にブツクサ文句を言っている者として、そのどちらもが「極上」というのは聴いてみるべし思った次第。システムはNASよりUSBでデノンDCD-SX11→バランス接続アキュフェーズE-470→バイワイヤリングTAD-ME1。flac形式96/24。
一聴してまず感じたのが音源への鋭いほどフォーカスの定まった録音と応じた解像感である。ヴァイオリンは極めて自然で美しい。wikiによるとリサ氏はストラディバリウス「エングルマン」を弾いているそうだが、この曲もそうだろうか?中高域の「飛んでくる感じ」「ギリギリを攻めてる感」はストラドだが。
ピアノは反響板・ホールトーンを含んだ録られ方で柔らかめ。ただ、ハンマーで弦をひっぱたく「弾ける」音まで録れており、SN・鮮度は極めて高い。オーディオ再生するピアノはどこかしら丸まって(鼻づまりに)聞こえるものだが、本作ではクリアに録れている。フランクのヴァイオリンソナタ1楽章の第二主題はピアノがメインだが、右手方向・左手方向ともバランス良く特に破綻はない。
ピアノ+ヴァイオリンという構成なので音場がどうこうという感じじゃないが、3楽章冒頭など微弱音で切々と綴られるあたりの「音がぽつん」感など、定位の良さがあってこそ。ウチは左右スピーカ間が3mチョイなのでスケール感は求めるだけ無駄なのだが、この楽章の副題「幻想的な叙唱(Recitativo-Fantasia)」を納得するというか、音の密度による変化がとても良く出る。4楽章フィナーレへ向かって録音がみじんも崩れないのは「それで当たり前」という感じに受け取れる。
シマノフスキのヴァイオリン協奏曲はフィラデルフィア管弦楽団を従えており、ピアノは左手、リサは中央に定位する。ウチのシステムは音像定位が「左右スピーカを結ぶ線より前」に出来るタイプだが、この曲では「前」はヴァイオリンのみで、楽団は奥手(ステージの奥方向)に座る。ただ、ブラスが動くと輝く音が前に広がって包み込んでくれ、華やかでゴージャスなコンサートホールに変えてくれる。うるさくないのでアンプのヴォリュームを上げたくなり、応じた没入感をくれる。
ショーソンの詩曲はヴァイオリンのソロパートなのに包囲感があるのが素敵な特徴。管物の録音は極めて上品な仕上がりでソナスファベールあたりと組み合わせると贅沢に鳴りそう。
ラストのドビュッシーは消え際の微弱音でも倍音が「~~~~~っ」と伸びていて(言葉で表現しろw)ろくろ首になりそうなほど。儚い音が美しく鳴らせるのはハイレゾの贅沢。
●まとめ
「録音は極上。ヴァイオリンもピアノもこれほど美しい音では録れないだろう」 とは麻倉さんのコメントだが、現時点最高クラスの録音なのは確かだろう。簡単に言うと音量上げてもひずみやうるささを感じないのは良録音である。それは応じて没入できる。ただ正直、ピアノの録音はもう少し行けるんちゃう?とは思う。最も、ダイレクトさを求めて反響板の中にマイク突っ込むと反響板で響いた音が録れず、離れて録ると生っぽさが減衰するので難しいのだが。
日本の家庭環境だと大編成のオーケストラを応じた音量で鳴らすのは難しいのだが、逆に小編成の楽曲を間近で聴くというこの上ない贅沢を味わうことが出来る。それを高い次元で実現するにはSN高くひずみが少ない録音が求められるが、本作はそれに充分に答えてくれる。安心しておすすめ。
さぁシステムのボリュームを上げよう。
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