東南海地震の日なんだよ
1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分。
南海トラフ地震が戦時下の東海地方を襲った。当時の震度階級は「6」が最大であったが、後の調査で愛知県西尾市など「7」相当の地域もあったと言われる。
木曜午後でちょうど義父は尋常小学校からの帰宅途中だったという。前にも書いたが再掲する。
・学校から帰宅途中であった(午後1時36分)
・家がギシギシと揺れ、土煙が立つのが見えた
友人宅が倒壊被害を受け、友人知人で釘類持ち寄って再建の手助けをしたそうである。
さてこの地震では「前兆」と思われる現象が科学的に記録されている。大地震があるていど一定の間隔で起きていることを見いだし、関東大地震を警告した今村明恒のチームが地震が起きたその時、掛川で測量をしていたのである。
「同じ場所を2回測っているのに誤差が大きすぎる。最終的には水準儀をセットできなくなり、苦戦しているうちに地震が起きた」
大きな震動が生じる前にズルズル動き出す……「プレスリップ」と称し、70年余を経た現在もこれが「直前予知」の最終手段であったりする。
地震計を張り巡らし、GPSでリアルタイムに見ているが、捉えようとしているのは結局それにすぎないのだ。
携帯に飛んでくるうぃーうぃーは「起きたぞ」である。比してこちらは「10分程度」の余裕をくれるだろうか。学者と大臣集めて注意情報?警戒宣言?そんな悠長な時間あらすか。
南海トラフ10分前。命を守りその後の火事や津波から生き延びる手段を選び実行することが出来るか?
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