毎年晦日は
個人的な重大ニュースを書いていたが、親が死んだ以上に、そして比肩する何かがあるわけでなく。
さてその死の間際において「回避できる手段」はあったであろうと思う。愁訴の内容や受け答えにおける「それは変だぞ」は幾らもあったので、首に縄付けて病院へ引っ張って行けば良かった。「生き続ける」という分には。
ただ、その内容からして糖尿病が深刻化しており、足を切断して透析、になった可能性が高い。実家はバリアフリーナニソレ住宅であるから、「車椅子」で生活できる状態ではない。応じて施設に缶詰「生きているだけ」になったならば、急速に衰えが進行するであろう。
「な?だからズバッとくたばって正解だったんだよ」
後処理結構大変だったんだぞ?イキナリ逝きやがって。涅槃の暮らしはどうでぇ。
年明けはこいつらで起動。
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