オーディオフェスタinナゴヤ2023
●冒頭の能書き
2020年はヒヤヒヤしながら参加し、21年、22年は中止になったので待ちに待った感じで出向いた。今回は行きつけの鍼灸院の院長先生が一緒。機器の出展はステサンを除き31メーカだが、店じまいの早い日曜に行ったので紹介するのは以下。
【ガチ聴き】
・アキュフェーズ/デノン/ヤマハ
【チョイ聴き】
・ハーマン(レビンソン+JBL)
●アキュフェーズ
ファインオーディオF1-12Sを出力とする50周年記念製品ベースのハイエンドシステム。送り出しがDP1000/DC1000→プリアンプC3900→イコライザのDG58を挟んでパワーはA300×2
・グレイト・ジャズ・トリオ(The Great Jazz Trio)/No Problem
コントラバスの唸りが少しクドいかな。ドラムス、シンバルの高域は控えめ。ピアノはアナログっぽい。A級増幅回路のしなやかさというより、ファインちゃんの高音方向の丸みと、音源の古さの所為かね。
・ジャシンタ(jacintha) / Danny Boy
ヴォーカルにフォーカスした録音。後ろにも回り込んで聞こえる。但し室内の音像分布はDG58がコントロールしているので室内の特性ではない。スタジオ残響を含み、ヴォーカルはぽつんと定位というより、大きな声の立像となる。包囲感は比類無く、「口の中」で聞いているよう。
・チャイコフスキー「悲愴」第4楽章/クルレンツィス指揮ムジカエテルナ
2015年の「一発録音」(寄せ集めの多重ドンブリではなく)。全体に腰高な感じ。小音量の時間帯でも埋もれるということはない。ないがただ、応じてビットレートが下がるのか解像感が低下するのと、ストリングスが少しダマになって聞こえるか。
・ジャン・ギュー(Jean Victor Arthur Guillou)/1975年録音でパイプオルガンによる「展覧会の絵」
ファインちゃんの胴太さ面目躍如とばかりに試聴室の空気震わせてオルガン表現する。32.7Hzがしっかり「ズシッ」と出てくる。ただ、同時に調音板がビビリ散らしていたが。
・イーグルス/ホテルカリフォルニア 1994年のライブ録音
ファインちゃんヴォーカルよりギターが好物な鳴り方。
アキュフェーズを日本メーカのガチなスピーカに突っ込むのが好きな者としてファインちゃんは少し外れるかな。それはそれで良く鳴るけど好みの傾向とは違う。
●デノン
DALIのKOREという1500万円のスピーカをマランツSA-10とCLASSEのセパレートで。総額2000万円近い。
・ニルス・ロフグレンのギターソロから曲名失念
一聴して「すごく綺麗」。アンプは300W/chだが「まだまだ飲み込めますぜ」という余裕のある鳴りっぷり。限界駆動というより「入れてもらった分、音にしてます」という素直さが好印象。あまりこう「高級感の演出」はない、フェラーリのピリキーよりセンチュリーのジェントルさというか。ピークやディップとか言葉に出すだけ低次元で、なんだろ「ここいじりました」感は聞こえない。その代わり上流(音源)に荒さがあると荒くなりそうな。まぁ、鳴らせる人はショップにセットアップしてもらうんでげしょなぁ。ただ、ギターのボディを手のひらで叩く音など物理的負荷がデカすぎて遅延が起きているような印象も受ける。エンジニア曰く「B&Wは分析系、DALIは癒やし系」なるほどね。上手いこと言うね。
・曲名失念/パイプオルガンと女性ヴォーカル
図体が大きいせいか「針先のようにフォーカスの定まった」にはならないかな。ただとにかく無理なところがないので「すっ」と音楽が入ってくる。定位感に効いてくるのは高域だが、大きめのソフトドームツイータに12kHz以上をリボンが加勢。まぁでけぇ空間で左右に大きく距離を取って鳴らすキカイなので定位の鋭さ要求すること自体間違いか。
・角田健一ビッグバンド/タキシードジャンクション
太いコントラバスとシャリシャリ感のあるブラスと。尖ったところは無いが整えて出してくる。
・パトリシア・カース(Patricia Kaas)/曲名失念
ヴォーカルにフォーカスした録音で、複雑なフランス語の発音が目に見えるよう。メリハリがあり、中高域重視と感じる。その代わり?周波数帯上の方が少しくすんで感じるが、声質のせいもあろうか。限界引き出し系の代表であるTADと聞き比べてみたい。
・ゲルギエフ指揮でストラヴィンスキー「春の祭典」……個人的にはこの曲うるせーので余り好きじゃ無い(おいおい)
ゲルギエフはウクライナ戦役もあって西側の職を失っている。さておき、この手の大編成は「描き分けつつ・混ぜつつ」と書けるか。そのB&Wみたいに「分析」し切らない部分を感じる。定位は良い。ただし音像はデカい。
・手嶌葵/月のぬくもり
同様にクリアで明確だが音像は大きい。
・反田恭平/リスト「カンパネラ」
スタインウェイにマイク突っ込んで録ったんだそうな。録音もすげえが演奏もすげえ。スタインウェイのコンサート・グランドCD75(1912年製)をタイトル通り「鐘」にしてしまう。ええのかそんなことしてと余計なこと考えてしまうほど。ただ、「ピアノ感」という観点からは少しだけ違う気がする。それとも単にピアノが古いせいか?。楽曲も音質も面白いので買うけどね。指の打鍵と、ハンマーのピアノ線アタックと、その時間差と、ミリ秒の機械伝達空間を耳に感じる。
・ムターのヴァイオリンで「シンドラーのリスト」
気高いストラディヴァリウスが名古屋に降臨といったありさま。伸びやかでストレスがなく、癒やしを感じる。ただ、ストラドは御年300歳で「ちょっとくたびれてるんちゃう?」な印象も受ける。彼女はストラドを2本個人で持ってるが(!!)どっちかな。
さて昼食後は実はTADを案内するつもりだったのだが、「ヤマハが気になる」と。今回院長先生「携帯電話からBluetoothで突っ込める機械」「ラジオも聞きたい」をお探しで、そうなるとHiFiではマランツのレシーバー1200をあてがうか、ヤマハあたりのAVアンプになる。また、婿入りさせたスピーカーがヤマハということもあろう。ちなみに、D&Mのコーナーに1200の姿は無く、お見せしたりカタログを渡したり、ということは叶わず。まぁ実機は栄のヨドバシにあるんだけどさ。
●ヤマハ
スピーカーNS3000。送り出しはCD3000/GT5000(カートリッジはフェーズメーション)。アンプは5000のセパレート。今日聞くシステムはセパレートばっかだな。
さて視聴時間の前に入ったので、それぞれ個人持ちのCD等を鳴らしてもらう。院長先生どうぞ、
「え?コレをコレでですか?いえいえ遠慮しておきます」
いえいえ「普段聞く音源をオーディオフェスタスゴクタカイシステムで聞ける」のがこのイベントのいいところなんですよ。
ご持参のジャズを鳴らしてもらう。お知り合いの方らしい。さて令和最新型ハイレゾ対応のシステムに一般的なCD通すと「全部」「余裕を持って」出してくるのだがこれも然り。PC用オーディオインタフェースとソフトウェアで録音編集された一般的な44/16だねぇという。何も引っかかるところ無くスムーズに出して寄越し、キレと制動が綺麗だ。
「全然違いますね」
スゴクタカイシステムで聞くことの欠点は自分の装置聞き直して幻滅すること。そしてそこから底なし沼が始まる。
で、自分はというとサラ・ブライトマンのSACD「La Luna」をロード。3000は価格的にTAD-ME1とガチンコで、リリースを聞いたときME1と大いに迷ったものだが、「定位感」に関する限り同軸2ウェイ+ウーハのME1に分があるように聞こえる。
さて試聴会が始まりますよ。ここは司会のおねーさんがシナリオ通りに説明して行く。
・シーネ・エイ(Sinne Eeg)/We've Just Begun
無色透明ストレート。ヤマハの目指すところの音質。いわゆる「ヤマハ・ビューティ」と呼ばれる中高域のキラッとした味付けは感じない。ストレート追求してそれを達成した、みたいな。3000は基本的には上位機5000のウーハー取り払ったキカイだが、応じて低音域との干渉やまとわりつき、「重さ」から解放されて好きなように歌っているような印象。声のエッジはもちろん、シンバルをスティックで叩くインパルスのキレ、カチカチ切り刻む感など軽さの勝利。ヴォーカル口元サイズは少し大きいのだが、ちゃんと立って歌っている姿を思い描ける。「いい子」だ、このスピーカーは。ただ、ME1が「存在感を隠す」のに対し、この子は「私が歌っています」と音源位置を主張する。言い換えるとCSTとオーソドックスな2ウェイの違い。
・上原ひろみ+ザ・ピアノクインテット/Ribera del Duero
曲名はスペインのワインの産地の名前だとか。高速かつ技巧を要する楽曲で、ピアノも弦も忙しい。精密な写生のように活写して行く。ただ、低音は少し「可能な限り出したい」感が強すぎたようで箱鳴りも含む印象を受ける。ちなみにこういう楽曲を「きつい」「しんどい」と感じたなら、システムが負けているか、単に自分の好みと相性が合わないかどちらかである。そんな「それ以上はちょっと……」というギリギリを攻めて行く。それこそアキュのダンピングファクタ4桁のアンプでねじ伏せた音でも聞いてみたいわ(ヤマハM5000のDFは300)。
・ムター+ウィーンフィル「悪魔のダンス」(イーストウィックの魔女達)
ホールトーンがふくよかで倍音ゆんゆんの録音もあって包み込まれ心地よい。小さなボディが高さ方向まで良く表現する。KOREと真逆でスケールメリット無い代わりに定位鋭い。ムターのソロは前に出てきて、管弦楽はその後ろに並び立つ。ミニマルスケールだが浮かび上がった金色かつ正統派のオーケストラ再生である。曲中トライアングルの存在感を埋もれずにピックアップする。
・カドリ・ヴーラン(Kadri Voorand)/I Must Stop Eating Chocolate
エストニアのシンガー。んー、録音かな。丸くてひずみ感が少しあって、コンパンダーが間に入って仕事した感。ただそれはそれで「データとして入ってるもの全部出しましたが……いけなかったですか?」みたいな。
ここからGT5000に切り替えてレコード。
・ディーン・マーチン/I'm Confessin’
1964年の円盤だがスクラッチノイズを感じず、更にノイズフロアも低くて感心した。令和最新型のレコードプレーヤは強力な駆動系と強力な磁石を使った俊敏な復調系を有するが、見事に融合した感。左右のセパレーションの甘さが気にならなければこれはこれで良いかと。「レコードっていいよね」ですね。PCMみたいに「屹立」してないので安心感がある。
・ノイマン指揮チェコフィル「新世界より」第4楽章。
1972年録音で「デジタル」の存在は一切無いので、余裕を持ってまるっと入っている。但しピアニシモの時間帯はレベル上げしてあり、応じてザラザラ感を伴う。これまた「入ってるもの全部出しましたが……いけなかったですか?」みたいな。ただ、D、F各レンジの狭さと輪郭の甘さを感じ……これはハイレゾ病か。そいやこれシンバル鳴った?
・ヘレン・メリル/You'd Be So Nice To Come Here To
聞けば誰もが「ああ、あれか」と思う名曲1954年モノーラル。時代なりだがマグアンプと真空管主体の回路でベストを尽くして記録しました感がしっかりと。「空気」が録れているのがすごく良い。
●JBL
ついでに寄ったら鳴らしてましたで軽く。エベレストをレビンソンのセパレートで駆動。実演奏より大きな音でビッグバンド。大スケールで迫力あるんだけどさ。ヤマハとか稠密・精密聞いてくると大雑把感があるわ。
●まとめ
新規性感じない代わりに特に物申すところは。一つ言えるのは「限界ギリギリ」を攻めてきたこれまでに対し、一服して「裕度」が見えてきたこと。そのなんだ、「物性」に依存するスピーカというメカニズムに対し、エレクトロニクスが手綱を引き締めてきたなと。24bitは1677万階調なのだが、ボイスコイルのストロークを1677万パターン用意できるようになってきたなと思うし、他方スピーカも「もう少し動けるよ、大きくも小さくも」という印象。そのくらいが「全部」(必要十分、ではなく)出してくる水準かなと。オーソドックスに行き詰まるとひねくれる事が多い「技術開発」だが、今のところ正当に純化している。
さて付き合っていただいた院長先生の感想も書いておこう。「音楽を聴く会」みたいなイベントは行ったことがあるものの、この手のガチなイベントは初めてだそうで「アキュフェーズという会社がすごく気になりました」(そんな状態で一発目アキュのフルセパレートなら、まぁ、インパクト強い罠)。「しっかりした技術に支えられ、説得力がある」とのこと。横浜にある会社だと説明したら驚かれた様子。まぁ、ステサンやHiViでも読んでないと出てこないもんね。「圧倒されたし、欲しくなった」。わかる。で、微妙に高価だと買うための算段に出がちなのだが、今日は生憎と?好都合なことに?全部クルマより高価な連中だったせいか、具体的なアクションには結びつかない様子。
「自分のシステム聞くのが怖い」
「分かります。でも、ここで聞いたバランス感を覚えておいて、少しでも近づけるように工夫してみる。それだけでも変わってきます」
音楽を聴く仕組みを揃えるまではただの機材調達。それを「可能な範囲で良くする」工夫を始めれば趣味。
「お金掛かりますね」
「でも、音楽を趣味にするって勝ち負けはないのでストレスにはならんのですよ。求めるところは安らぎと満足感ですから」
「なるほど」
お後がよろしいようで。
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