「ひかりライン」博多開業の頃
クルマのエンジンを掛け電源を入れたらナビが言う「ぴこん・今日は新幹線全線開通の日です」
「3月11日」があまりにも重い物を背負ってしまったので、その前後の日々は埋もれてしまいがちであるが、1964年から運転を始めた東海道・山陽新幹線が九州博多に上陸したのが1975年の3月10日である。
当時さいたまさいたま越谷に住んでいて、母親の郷里である「ふくおかのおばあちゃんち」には以後新幹線で行くことになった。これは開業直後4月7日、春休みの帰省から帰るときの切符である。当時まだ会社勤めをしていた祖父が博多駅で手配してくれたものと推察する。見ての通りコンピュータシステム(MARS)ではなく手書きである。とはいえ、MARS自体は下に写っている別の切符が昭和49年発行で分かる通り既に存在し、指定自体はそちらで行い、博多駅は情報を元に手書き発行していた物と思われる。
それ以前はヒコーキを使っていたはずで、応じて羽田のモノレールに乗った記憶や、ヒコーキから窓の外を見た記憶もわずかにあるが、基本的には新幹線の記憶が「ばあちゃんち」の殆どを占める。ちなみに開通当初は徐行区間が多く、東京-博多は何と6時間56分を要し、乗ってりゃパラダイスのおいらはともかく、付き合わされた母親はさぞかし退屈していたのではあるまいか。食堂車でハンバーグを食べて、電話室から福岡に電話して、山陽区間でがら空きになったら16両編成400mを散歩(!)して、グリーン車は通るだけ。給水器で冷たいお水を飲んで、つぶつぶジュース、シンカンセンスゴイカタイアイス。新関門トンネルをくぐると空の明るさが違う。
今や食堂車もビュフェも無くなり高速輸送機械に成り果ててはいるが、それはそれで時速300キロでぶっ飛ばし最速4時間50分を切る勢いで太平洋ベルト地帯を貫通している。旅の仲間とは言えなくなったが、イキり倒していてそれはそれで良い。
なお3月12日は九州新幹線が博多-鹿児島中央で通じた日である。新幹線のレールが東京から鹿児島中央まで繋がっている。
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