ルッキズム
「美少女」を表現するのに「美少女」と書いたら負けだと思っている。彼女はてめぇで書いてる小説の看板娘のレムリアである((c)茶坊主)。
「物語には女神が必要だ」という平井和正の言葉は至言で、男だけだと話が進まない。いや殺伐とすると言うべきか感情の起伏や成長がない。「感情の起伏と成長」が半ば約束された十代の娘を放り込むのはある意味負けかも知れない。
それはさておき。
元より女性は美しい存在で内面のきらめきが表出した結果であると信念を持っているので「そういう」内奥から生まれ出て周囲を照らす光条のようなものが感ぜられるように表現したい。とはいえ風になびく射干玉とか絵になる描像は切り取って記録しておかねばならぬ。美なる風景に女性があって絵になるのは美として共通の成分で構成されているからである。おっさんがボソンっと突っ立っていたら台無しになるのだ。そしてこのことは生命体として持って生まれたベクトルがメスオスで大いに異なる事を証する。それをルッキズムと言われるとお手上げだが文章から有様を想起させるアイコンとしてはベクトルに依存せざるを得ない。
要するに全部美化して書いてるからうるせえ馬鹿野郎というお話。たまにゃ戯れ言書かせ。
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