イヤホンが進化してもスピーカーでしか出来ないこと【考察】
(BOSE 363 処分済み)
昨日の続き。左右の耳で音を聞く限り、スピーカーで出来ることは将来イヤホンで全部代替可能なような気がする。
(DIATONE DS-200Z 弟の家にいる)
どころか、音源を意図的に配することでスピーカー2本じゃ不可能だったことすら逆に可能になるのではないか。
(ヤマハ NS-F500 鍼灸院の院長先生のリスニングルームにいる)
空間に音楽を混ぜるという行為も、イヤホンの外音取り込みで可能なように思える。
(ソナスファベール LuminaⅠ リビング)
残るのは「全身で音波を浴びる」という行為と、単純に耳の保護としてのイヤホンの代替(本末転倒!)であろうか。
(TAD ME-1)
室内に音を充満させて浴びるのはそのままで快楽だ。音のシャワーそのものだ。高音が耳に飛んで来、低音が身体ごと揺さぶる。ただそれはそう、それだけの音量が許可される空間を要求する。逆に言うと空間用意して相違は身体全体で感じるかどうか、である。そしてそれを快く感じるにはライブ体験がないとならない。それだけのために空間とコンポーネントを用意するのか。
イヤホンとバーチャルじゃない音の写像。筋骨を共鳴させて感じる音。
……鉄道模型(それもまた縮尺された写像)みたいな高級趣味商品としかこの先生きのこる道はないのか。
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