関東大震災より100年経過
2023年9月1日は、大正関東地震、および、火災を中心とする深甚なる複合大災害となった関東大震災より丁度100年である。防災の日が9月1日なのはここに端を発する。
以降、地震の科学的研究、建物や街作りにおける防災の視点反映、そして訓練など意識構築を続けているのであるが、兵庫県南部地震、東北地方太平洋沖地震など、数え切れない人的犠牲を伴っており、決して目的を達成できていない。
今一度当時の状況を令和現在の知見と技術で再現し、把握しておくことは、当時失われた人命に報い、次なる大地震への備えに資するものと判断できる。「11時58分の地震とその後の火事」でまとめるのは本質を見失う。読まれると「そこまでするか」的な恐怖を覚えるかもしれないが、「南海トラフ」は類似があり得る。備え、構え、そして逃げて生き延びるために、自らの意識付けのためにここに記しておく。
●地震動そのもの
11時58分マグニチュード7.9。調べるとこう出てくる。しかし実態は。
・11:58 M7.9 神奈川県西部-相模湾
・12:01 M7.2 東京湾北部
・12:03 M7.3 神奈川県・山梨県・静岡県県境付近
・12:17 M6.4 伊豆大島近海
・12:23 M6.5 相模湾
・12:40 M6.5 相模湾
・12:47 M6.8 山梨県中・西部
1時間の間に大きな地震がこれだけ連続して起きている
●津波
熱海:5~6分後引き波→第1波(床上浸水)→地震後15分くらいで7~8m。場所により12m
伊東:8~10分後(21世紀のシミュレーション)9m
鎌倉:引き波の後20分後に7~8m
●土砂崩れ等
丹沢山地を中心に多く発生。有名なのは白糸川で発生した山津波(岩屑流)。距離6キロを5分で流れ下ったという。他に東海道本線根府川駅に停車中の列車もろとも押し流した土石流も知られている。
●火災
都内で100箇所、神奈川で30箇所以上から発生した。台風が日本海から北日本を横切り太平洋側へ抜けるという移動をしており、風が強く、東京市の4割が延焼する大火になった。「竜巻」は強い上昇気流で発生するが、その上昇気流を火事が起こした場合でも発生しうる。「火災旋風」と呼ばれ、要するに炎の竜巻である。
陸軍被服廠(ひふくしょう)の跡地に避難していた人々を襲い、ここだけで3万8千人がなくなったと言われる。
●要するに?
東北地方太平洋沖地震と同じ「海溝型」が「直下」で発生した。突然の大きな地震動で建物が倒壊し、火を噴く。本震の揺れが収まらぬうちにM7クラスの余震が襲う。ずっと揺れてる中を倒壊・落下を避けなければならない。生き延びて逃げるにも避難場所や経路なんてものはない。とりあえず家財道具一式持って右往左往しているうちに火に阻まれ、追い詰められたところを火災旋風が襲う。海へ逃げたら津波が襲う。
教訓を拾うなら「揺れたら身の安全を確保し、揺れが耐えられるレベルまで収まってきたら、必要最小限のものだけ持って避難所へ逃げろ。余震のさらなる倒壊と火事に気をつけながら逃げろ。身の安全が確保できるように耐震の養生をし、持ち出す荷物はまとめておけ」……我々は出来るのだろうか。
●南海トラフに向かって
マグニチュード9と言われる。数字だけ見ると東北地方太平洋沖地震と同じである。
違うのは震源域が陸域に及ぶこと。携帯やテレビ緊急地震速報は、初期微動と主要動の時間差から到達時間を予測して警報を出す。東北地方太平洋沖地震ではこれで陸域は間に合った。比して真下で起きたら当然間に合わない。予知しようとしているが、前駆的な地殻変動であるプレスリップを捕まえたとしても数時間である。警戒宣言は閣議で決まるが、データの異常→センセイの招集→審議……じじいかき集めている間に来るだろ。いきなり来ると考えた方が良い。
強弱を繰り返しながら7分。その間に上記回避行動を取る。準備と、訓練と、恐怖に打ち勝ってそれを実行する胆力が求められる。
100年を経て建物は強くなり避難所とそのルートも整備された。ただ逆に言うと「路頭に迷う必要は無くなった」というだけかも知れぬ。
↓お目通しください。
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