すまんもごめんもあるわけでなし
おやつタイムでリビングに降りてくるとテーブルに洪水が出来ている。あまつさえは床も塗れていて、踏んでしまって思わずうわっと声が出た。
義父がマックのコーヒーのフタを開け損なってぶちまけたのである。
「床までこぼれてたか?そんな見えなかったが」
(椅子を経由して)
視界が欠損していて判らないことはあろう。
「こぼしたんだが、どうしたらいいかわからなんだで、放かってまった」(どうしたらいいか判らなくなったので放置した)
で、洪水が二カ所と。すまん、もなく、ごめん、もなく。
ここでてめぇくそじじいコロナ対応でただでさえ気が立ってるのにこの野郎と怒鳴ってしばき倒すのは簡単である(久しぶりにムカッと来たのは否定しない)。が、恐らくはここに認知症の限界と高齢者の心理が隠されている。
どうしたらいい……拭くなり人を呼ぶなりすれば良いのである。が、「拭く」にしても台拭きや雑巾の在処を知らない(戦前生まれの男が家事の合切を把握しているわけがない)。ティッシュで拭くのは恐らく過去一度と無く「そんなの使わないで勿体ない」と言われていると思われる。で、詰み。「人を呼ぶ」……妻は復調に至らず二階で横になっており、ワイは仕事だし、娘が在宅かどうかの認識は希薄と思われる。で、呼ぶ、という回答が出てこず、結論は「何もしない」。ただ、その結論が重大な瑕疵であることに思いが至らない。
あるいは「義理の息子」や「孫」に失敗の告知とその後始末を頼むのに抵抗を感じたというのはあるやも知れぬ。何せ一家の大黒柱だったのだ。「元々家族でない者」に失態を発見される。恥ずかしいという心理は持つであろう。
「最適解の導出、効率の良い作業導線の導出と実行」……ここに難が現れるのがタイプ寄らず認知症の特徴である。ただ、まぁ、人格が崩壊していないだけADよりは、会話できるだけまだ、であろう。
小刻み歩行は顕著になってきたし、椅子から立ち上がるのも難儀で、腕っ節に物を言わせてテーブルに手を突いたり、レンタル手すりに掴まったりして身体を押し上げる。それでどうにか立ち上がる。ネットに書いてある予後の通りに進行している。自分の物言いは冷酷かもしれないが、冷静に見ているのは確かである。
血糖チャージ。プハーッ。
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