郷愁の東武鉄道 @Tobu_skytrline @tetsupic
幼少のみぎりのボクチャンは埼玉は越谷市の東武スカイツリーライン……non non伊勢崎線線路近くに住んでいた。
1970年夏頃から1977年夏まで、生まれた直後から小学2年の夏休み、になる。家から一歩外へ出れば電車が見える。祖母曰く「汽車さえ見せておけばおとなしかった」子供だったそうだが、まぁ、いわゆる「生まれつきの鉄」で、症状を深度化させたのが東武の存在と言って間違いではない。当時の記憶を掘り起こすとこうなる。
・新越谷駅が蒲生との間に出来た(1974年・4歳)
・電車の色がツートンからクリームに変わっていった(1974年)
・貨物列車と荷物電車が走っていた
・明るくて綺麗な涼しい電車が走り始め、隣の車両とのドアは両手で左右に開く(1972年・2歳)
・スピードが上がると「ぴぎゃ~」という走行音に変わるボロ電車があり、同じ顔の色違いが「だいや」「おじか」などのマークを掲げて走っていた
・地下鉄に乗り入れる銀色電車はバネ仕掛けで「ばこん」と戻るつり革もどきを付けていた
ここで2歳のボクチャンが気付いて記憶したのは、当時絶賛量産中だった同社の主力一般車8000系がモデルチェンジして冷房搭載・室内灯の増設・車両間の扉追設(写真)を行ったことである。我ながら2歳児の着目点(車内の明るさが変化したことに気づいている)じゃねーだろ思うが、子供が興味を持ったことに対する観察眼と記憶力はこんな感じである。「電車の駅など驚くほど知っている」とは通知票に書かれた女先生のコメントだが、その道を究めた(沿線住人6年のヴェテラン!)子供の知識量が大人並みなのは「それで普通」だよ。
そんな子供に、たくさんの形式、地下鉄乗り入れから見知らぬ遠い地へ向かう華やかな特急・急行、地味だがパワフルな貨物列車、出会えればラッキー荷物電車と、遠く近く、日常と非日常、洗練と古くささ、そして電気と鉄の塊という、およそ鉄道の持つ全ての趣味要素が詰まった路線が間近にあてがわれていたのである。夢中にならん方がおかしい。斯くして半世紀を超える人生のわずか7分の1、7年間ではあるが、趣味の回帰点は高架化された複々線を走るスカイツリーラインではなく、線路際のドブ川でザリガニを釣りながら眺めた伊勢崎線の電車達なのである。冒頭並べた今回の蝟集はふと見た「駿河屋」サイトで乗り入れ先の営団3000を見つけた事に端を発する。
前の持ち主にイラネと売り飛ばされたか、最初からクレカ決済枠の現金化で転売されたか、まぁ、思い入れのない扱いを受けてきたのであろう。比してここは思い入れしかないわ。シールやパーツでおめかしして走り倒してやるから、線路際から眺めていた「あの頃」をずっとここで。
« たまにゃヌルサク | トップページ | 断捨離していてこんにちは »
コメント