二次避難をと申しますが
病人と年寄りは一旦出ろ。それは「命を優先」した選択としてはベストというか「モアベター」ってところだろう。理屈だけで言えば全くの同意。ただ。
義父は「レビー小体型」の認知症である。普通に会話出来るが「認知・判断能力」自体は次第に低下してきている。昨夏手術で1週間ほど入院したが、退院時には歩けなくなっていたうえ、「認知・判断」は大幅に低下した。帰宅したはいいがクルマを降りて動けなくなり炎天下に立ち尽くし「ここでええが(ここでいいじゃないか)」……いやいや。白ビル一週間でこうなのだから、ただでさえ未曾有の災害に遭って怖い思いをしたところに、得手勝手の知れぬ場所へ、なぜそうなるのか理由も分からず連れて行かれる……それはQOLの向上が目的なのに逆効果を招く恐れがあるのだ。「しない」という選択をした方の中には類例を危惧した方もあろう。「みんな従え」は管理は楽だが全員に対して満点では決してないのである。非常事態なんだから妥協しろという向きもあろうが、特に認知症は認知症の故にルーチン(いつも通り)の維持が大切なのだ。いつもと違う=何も出来ないからである。それまで出来ていたことが出来なくなるという疾患なのに新しいことが出来るだろうか?解は自明であろう。最小限「いつもの人が対応する」環境は維持出来ないと不安定、ということになる。最も、介護士さんが被災されているので実態としては難しいのであるが。
これを単純に解決しようとすると、スタッフもろとも丸ごと避難が必要、となる。将来的には介護施設はそれ自体避難所に使えるくらい備蓄と自家発電システムでも備えたゴリマッチョな建物にしておけ、ということになる。非現実的?今後高齢化が進むのですよ。本気で考えなくてはいけないフェーズに来ているのではないか?
なに事前に逃げろ?出来るか?今村明恒が「測量が出来ない!おかしい」(地殻変動の始まり)に気づいたのは、東南海地震の数時間前。
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