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2024年2月 2日 (金)

原作と映像化

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まぁ、とてつもなくひどい事件で、火の手はニトログリセリン突っ込まれてどんどん広がるばかりで。

根本的に小説(線で書いてあるので1次元)、マンガ(2次元)、ドラマ・アニメ(3次元)は、それぞれ得手不得手があるので、直接のメディア変換は難しい。画像なら一瞬で済むところを、文章は(読み手にとって)応じた時間を割いて説明する必要があるし、それも踏まえたリズム・テンポを持ったものを、リアルタイムで動画に変換すると間延びしたり、あるいは映像で一瞬の表現にした結果、見落とすなどということもあるかも知れない。応じて詳細化やデフォルメなど、ある程度の「改変」は許容されざるを得ない。

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ただその結果設定やプロットまで変わることについては、それこそ映画の歴史と同等の期間にわたり、延々と賛否が語られてきたのではないか。

日本で最も知名度のある「宮崎アニメ」だが、例えば「風の谷のナウシカ」は映画とマンガ製作が同時に進められ、映画はおおむねマンガの2巻目半分くらいまでの内容をトレースしている。ただ、クシャナの腕についてマンガにはその旨の言及はないし、一方でマンガ版のナウシカは念動(サイコキネシス)を駆使するシーンが出てくる。そも漫画は7巻構成なのでスートリーの相違は推して知るべしである。ただ、どっちも同じ人間が手がけているので批判の立ち入る隙は無い。

魔女宅は小説のビジュアル化なので、そもそも画像化されたキャラクターがオリジナルの存在となる。おおむね原作のエピソードを取り込んでいるが、ウルスラの手がけていた絵は現物(福祉学級の作品)だし、飛行船トラブル以降のエピソードが完全にアニメオリジナルなのはご存じの通り。波乱が無いから付け加えたと言われている。個人的には転調してCメロDメロに持って行く楽曲のようだ。宮崎らしい冒険活劇が顔を覗かせて個人的にはまーいーじゃんだが、角野さんは「お、おう」という感じだったようだ。ただ、波風は立っていない。なお原作はキキがもっと成長するところまで描かれている。

耳すま。「星の瞳のシルエット」大好きなので原作を持っている54歳男性だが、これはほぼ「キャラクタの名前だけは同一の別物」として良い。マンガ原作なのにキャラデザすら似てない(雫はあんなナヨっぽくない)。

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聖蹟桜ヶ丘と京王線が聖地にされているが、原作の舞台は栃木で、出てくる鉄道はどー見ても東武宇都宮線である。原作を知る人は映画見て「えーっ!」てなるし、映画から原作を手にした人もこれまた「えー!」になること請け合いである。ただ、これも原作柊さんがジブリ作品大好きなので波風が立つことはない。

幻魔大戦は少々複雑で、最初にこの名を持った作品は原作を平井和正、作画を石ノ森章太郎として1967年に登場した。ただ実態として二人が時にケンカしながらプロットを練っていったようである。これを平井和正自身が「リライト・ノベライズ」として始めたのが小説版幻魔大戦で、シリーズ全体で実に原稿用紙18000枚に及ぶ超大作になっている。ただ、小説版はマンガにおけるニューヨークでの超能力・超科学戦争まではトレースするものの、その後は主人公東丈の「僕は組織を作っていこうと思うんだ」の一言でサイコキネシスは影を潜める。そのくせ角川初のアニメ映画化されたわけだが、これも概ねマンガ版をトレースするも、当時駆け出しの原田知世にアテレコさせるべくオリジナルのキャラクターを出しているし、キャラデザも石ノ森キャラどころか後に「AKIRA」でカリスマとなる大友克彦による全くのオリジナルになっている。ストーリーも同じくニューヨーク以降はオリジナルのシナリオとなって、原作にあった「勢いとスケール」はスポイルされていると言わざるを得ない。なおこのアニメ版は原作両氏はほぼタッチしておらず、後に平井和正は「キャラデザがブスだ」と幻魔の後書きだったと思うが述懐している。

ちなみに作者が全面的に監修し、脚本も手がけたのが「ちびまる子」で、声優も本人判断で「原作通り」である。ただ、ご存じの通りさくらももこは虹の橋を渡ったので、現下アニメやマンガは気心の知れたスタッフによる、しかし言っちゃ悪いが「亡霊」である(原作にあった子供の毒がスポイルされてよい子マンガに成り下がっているので見てない)。

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こうして見てみると、近年の「鬼滅の刃」「薬屋のひとりごと」は、応じた端折りデフォルメ付け足しはあるものの、原作のテイストは守られている範疇であろう。メディアミックスとは本来上記各次元の相互乗り入れを誘導し、新たな発見を通じてより深く作品世界に没入する試みであるべきだと思う。「じぶんのかんがえるこのタイトルの作品のあるべき姿」を汚ぇケツの穴からひり出して見せつけるのは相容れないことは明らかで、誰も喜ばない自己満足以外の何物でも無い。

創作物は自分の子供であり分身である。それを「素材」呼ばわりされて好き勝手に改変されるのをお前自身は許容するのか。ということだ。

多少活字になったものを持つ身としてすこぶる胸くそ悪い。作者氏の冥福をお祈りする。

最上位の天使セラフィムは「愛と想像」の守護者なんだぜ。すなわち、想像の力は愛と同等。ないがしろにしたらどうなるかわかるね?

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