マンスプレイニングねぇ
「ブラタモリ」がそれだといちゃもん付けた人が炎上してるとか。まぁ議論の内容はネットにいっぱいでているので探してください。馬鹿馬鹿しい。
さてこの用語は「男が女を知性の点から見下している」という前提が生んでいる。まぁ最も。
こういうコピペが出来るくらい「水準」に対する認識が出来ているからなのだが。
マンスプレイニングを立場変えると(男を擁護する側に立つと)「しゃしゃり出て来やがって」となる。「紅の豚」においてポルコが最初にフィオに見せた態度がそれだ。「あー」と納得される方多いのではあるまいか。鉄道番組に出てくる女性タレント増えたが、鉄道のシステムやら構造など技術的なエリアまで踏み込んでくることはない(そんな番組自体存在しないが)。オーディオフェスタがハゲと白髪の祭典であることは書いた通り。浅薄な認識で勝手なことを言うので「そうじゃなくてね」と諭すことになる。その行為をマンスプレイニングと言われるなら「勉強して出直せ」が答えということになる。「浅はかな女」全開ではないかw
もちろん万事そうかというと、んなことはない。万葉集や百人一首に「女性を見下した」編纂を感じるか?天文学に女性研究者が多いのは折に触れ書いている通り。ただ、多くの分野で(特に現業部門で)女性が受け手に回る場面は多くあり、それを偏りと感じるのだろう、というのがおいらの見解。要するに「マンスプレイニングだ」という認識自体が浅はかなんじゃね、という(ああ言っちゃったw)。
ちなみにウチの工場女性エンジニアなんぼかいるが、「男性か女性か」の前に、出てきた設計図が全てを語るので「先入観」を持つことはない(上記ポルコが認識を改めるのも計算書を見て、である)。成果物で語られる芸術の世界も同様であろう。題名の偏見に満ちた言葉を無くするには男の側の認識(多くの場合女性は外見だけで天下を取れる場合もあることと対偶をなす)を改めることはもちろんだが、ね。
以上講釈を垂れました。こういうのをマンスプレイニングといいますw
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