伝えるべきことを知るべき人に
会社で3月11日が日常に戻って久しく、比してこちとらあの日夜通し電車を待った身。在宅なので一旦仕事ほっぽりだしてこの青い空の向こう500マイル彼方の海辺に向かい手を合わせる。
悲しいかな以後毎年のように大きな地震はあって、都度善し悪しはさておきあの日の出来事にリマインドが図られる。それはあの日を知らない子供達や、あの揺れを知らない地域の人たちに「接する機会」を与えはするも、それを我が身と受け止めて対峙し、そしていつか生かすために吸収するかどうかはその人次第だ。
(ソース)
要は現地の学習プログラムの実行数が伸び悩んでいる、というデータ。まぁ被災地はアクセスが大変だし、ようつべの動画見るだけで「事実」は見聞き出来る。このグラフだけで何か言うのは早計な気がするが、「知らない」世代が増えてきたことは確かで、彼らが知らないまま「その時」を迎えてしまうのは危険どころの騒ぎじゃない。津波にも地震にも無縁の地域は日本列島に存在しない。
地学で地震・津波のメカニズムと共にこうした災害と対策をきちんと授業として教えるべきではないのか。地域によっては地震動が収まる前から震動の恐怖に打ち勝って逃げ始めないとならない。他人事でええんか、と怒鳴り声の一つもあげたくなる。
貞観三陸地震(869年)の文献で「多賀城下に津波が押し寄せ1000人死んだ」とあるのだが、これを学術界は「大げさ」と判断して長年放置していた。が、徐々に津波痕跡の調査から「馬鹿でかい地震だったのではないか?」と再評価が始まった段階で発生したのがこれであった。
(多賀城市の浸水域)
日本列島の生い立ちは地震と切っても切れない。そこに住んでいるという自覚と「覚悟」を今一度。再発防止こそ2万2千余の御霊へできる我々の報い。
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