小なゐ
速報がピコンと来たときは既にぐらりんちょ。流石に近すぎて間に合わない。
「三河地震」(1945)の震源、深溝(ふこうず)断層?「震央」自体は断層が露出しているこの地図の端っこ、幸田町とは離れているが。
ここは中央構造線が東西方向から南北方向に向きを変えるところで、フォッサマグナを東西に引き裂く力と、フィリピン海プレートが南から押し上げてくる力とが交錯する。
断層の真上にお寺があって、ご住職にお話を伺う機会があったが、今でも「報道されない地震」や「報道された以上の大きな揺れ」を感じるという。戦場のカナリアじゃないが、「ひずみ」が真っ先に閾値を超える場所と言っていいだろう。
関東における「千葉県北西部」ほどの頻度じゃないが、ここも「地震の巣」。
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