燃料代<電気設備の維持費
あらあら(ヌリはワイ)。
大雨で不通になっている奥羽本線について「電車運転の設備を撤収し、ディーゼル車で復旧します」と。あらまぁ。
架線から電気を取り込んでモーターを回して動力とする運転方法は明治期に路面電車で適用が始まり、その発展形として都市近郊鉄道も電車化される。一方長距離幹線の「電気動力による高速運転」は、坂道とトンネルの多いスイスから発展が始まった。同じコトは日本にも言え、最初の幹線鉄道の電気運転は明治45年の碓氷峠を端緒とし、しかし「石炭の方が安い」という理由でそこからの発展はすぐにはなかった。
潮目が変わるのは第一次大戦の頃で、石炭掘り尽くす説が出たことと、水力発電の実用化で電力費が安くなったことが重なり、電力会社の働きかけもありつつ「国有鉄道ノ運輸ニ関シ石炭ノ節約ヲ図ル件」を時の鉄道院が閣議に諮る。この結果、
①都市近郊で本数が多く煤煙被害を避けるべき区間
②坂道とトンネルが多いが水力発電所が作りやすい区間
③電気運転しないと輸送力が確保できない区間
とゆー優先順位で電気運転を広げることになった。が、関東大震災もあって、戦前に実際に電化されたのは東京-沼津までの東海道本線、海軍基地を抱えた横須賀線、中央本線が甲府まで、上越線の「国境の長いトンネル」水上-石内と、仙山線、関門トンネルといったあたりにとどまった。
今回ネタに上がった奥羽本線は戦後になって国内有数の急勾配を有する福島-米沢間「板谷峠」を先陣に電化された(1949年)。現在でもこの区間「つばさ」は新幹線区間の爆走がウソみたいにもったらくったら走るが、急坂とカーブが明治のSL仕様のママだからだ。逆に言うとそこをSLで走っていたわけで労苦と要した時間を思うとゾッとする。
さてここまでは「電気運転じゃないとどうしようもない」結果だが、電気運転には応じた設備とその保守費用が発生する。真夏や真冬に「電気が足りません」という話を聞くと思うが、逆に言うと「フルパワー」用の設備は、応じた費用を投入したのに、フルパワーが必要でない時は能力を持て余していることになる。ここに「電気運転」のコスパによる境界線が発生する。奥羽本線のその先の電化は何と1960年にようやく山形ー羽前千歳間が離れ小島的に電化された後、1968年に米沢-山形、日本海縦貫線を構成する秋田-青森が1971年、残る羽前千歳-秋田は1975年、すなわち昭和50年まで要した。ただ、この時代、東京(上野)-秋田の直結ルートは奥羽本線であり、当時の「つばさ」は秋田行きだし、夜行急行「津軽」寝台特急「あけぼの」など、電力による高速運転を行う意義はあった。で、そう、時代を下って秋田ルートが「こまち」メインになると、新庄ー湯沢-横手ー大曲は、「つばさ」とも「こまち」とも切り離されてしまうのである。「つばさ」が新庄に入った直後、この区間への接続特急として「こまくさ」が設定されたが、今は走っていないということでお察し、である。なお湯沢や横手に列車で行くと言うと現地の人に「アホ」と言われる。
「秋田か花巻まで飛んでクルマだ。着いたらうどんだ」
(お言葉に甘えて)
不通になる前、新庄-大曲を直通する列車は1日7本。他に区間運転。対して令和最新型のディーゼル車はクルマと同じく電気モータ併用で燃費が良くなっているから、答えは自明であろう。「退化だ」とするヲタの声もあるが、オマエラちょっと待て、ココ走ってた電車「701」だぞ。
(Wiki)
こいつ乗るくらいなら「令和最新型」ディーゼルの方が万倍マシじゃね?
結論:とっとと「奥羽新幹線」を作って秋田までブッ通しておくべきであった
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